『自己に厳しく、他者には寛容に』……ハードな霊的現象や次元を支えるのは、常に内なる自己を見つめる事ではないか?

今日は、オウムの某人物の初公判の日。
オウムは、反社会的な教団だが
高橋信次さんに影響されたと言われていた。

確かに、高橋信次さんは言った。

・魂を綺麗にすれば、過去世を誰もが思い出せる
・道を進むに連れて、いろんな超能力が使えるようになる

仏陀の弟子がアラハン(阿羅漢)の境地に至り
千里眼、念力、テレポート、テレパシー等が目覚めたと。


で、高橋信次さんが居なくなると

彼に影響されながら、彼の考え方からはほど遠い
霊的現象面に重点を置く教団がいくつも出来た。

彼に本当に影響されたなら
宗教団体が拉致、監禁、テロ、殺人を犯すなんて…

まずありえない。


高橋信次さんは、他者に自分の霊的世界観を強制しなかったぞ

あのさ。

彼のハードな内容を体験する経過で
バランスを支えるのは


『自らに厳しく、他者には寛容に』
『誰にでもわかる教えこそが真の宗教』
キリスト教も仏教も始まりにおいては宗教団体ではなかった』
『神(=教祖)をまつるな。法に生きよ』
『人間の生きるべき姿を大自然が教えている』etc


こうしたシンプルな基礎部分の深い理解ではないのかな?