『人間は不完全である(スピリチュアル編)』……2008年 10月3日(金)の記事 再掲

『人間は不完全である(スピリチュアル編)』

2008年の10月3日(金)の記事です。
この頃、こんな事を考えていたんですねえ…
2011年3月11日以来、様々なスピリチュアルな情報や陰謀論をあれこれ
目にしてきたけれど、基本的には、自分が目覚めてくるように仕向けられたような…
わかってきたコトは多く、それゆえに、世界に様々な問題点が多いコトも見えてきて、
眠りからは覚めたような気がする。

人間とは…なーんて、ウチとソトがバラバラではないのだとか、
自発的に生きたくなったり、
主体的に生きるべきだったのだと気付いたり、

そうした、1人の個人として生きるコトの素晴らしさについて、
その生きる方向性について、可能性にについて、
世界中の人々が、ボチボチ、本気で考え出しているのではないだろうかと
毎日の雑多な情報の余白部分に、やわらかな振動のようなエネルギーが
溢れてきているのが感じられるのはワタシだけだろうか?

そういったコトとは、まるで無関係な内容の、長文で、わかりにくいかもですが、
8年半ほど昔の記事を再掲してみるので、おヒマな方、読んでみてくらはい👇


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マインドコントロールの怖さは
自覚されないことにあると思う。

なぜこういう話を唐突にはじめたか・・・
またまた、考えられない犯罪が起きているからである。

そして、いくつか、神霊や霊能力を扱うブログを見たりして、
いろいろ思うところがあった。

自分のことも含めて振り返る。


ここ数年、霊能者との出会いがある。
本物である。
というより、「本格的」である。

実体験を聞かされるたび、ゾクゾクした(汗)

本格的・・・イコール本物?
微妙だなあ~
霊能者を「本物」ですよと言える尺度がないからなあ・・・

その霊能者は、
もちろん人格もいいけれど、
ここではとくに能力や力が本格的という意味。

そういった人並み外れた力の持ち主であるからには、
人柄、人間性が絶対的に必要な条件となるよね・・・。
でなければ、よくないものに囲まれてしまうだろう。
思い上がり、自分を聖なる存在だとか、特別な存在と自覚し、
それを赤の他人に押しつけるようになってゆくならば、
本末転倒。

・・・この点において、
考えさせられることは多いけれど、
彼女は職業霊能者ではない。

だけど、どのような人間であっても、
能力があれば、祭り上げられたりしているうちに、
思い上がってしまうのは避けられない。

宜保愛子は本物だった・・・と、その「本格的」さんが言っていた。
根拠付きで。

本格的な彼女は、不思議な人で、
ぶっとぶほどの体験していながら、
根拠なく語らない人だった。
客観的事実、証人がいる不思議体験を語る。

(よけい怖いわ(;>_<)


ある意味、社会的な地位もあったので。
またかなり裕福でもあった。
人柄がよく、いい人。
彼女の友人は、金持ちが多いわけだが、面白かったのは、
彼女の超ビンボーの友人の話で、
本当に貧乏だったそうである。
お母さんは本当に苦労して、無理をして
働きづめに働き、それがたたって亡くなった。

お母さんが亡くなって以後、彼女の友人は、お父さんと共に、
家族総出で、一生懸命働いた。

ある不思議な出来事があった。

ボロ家に、ある動物が現れたのだ。
(霊的によく扱われるもの)

この日を境に、この貧乏な一家は、みるみる変貌を遂げてゆく。
やることなすこと、当たるのだった。
今じゃ、超セレブである。

ところが。ひとつだけ悩みが・・・。

お父さんは、好きな女性と結婚できない。
子供たちが「お母さんを忘れるな!」と大反対なのだ。

それはともかく、

一代で一気に成り上がったこのお金持ちは、
それなりに不思議な出来事があったわけだが、
水木しげるも、自分ちの窓に、何かが
(忘れちゃった。ナントカ玉?)
入ってゆくのを見て以来、
仕事が増えたというから、
そういうことって「お知らせ」があるんだなあ~

マインドコントロールの話に戻るが、

静岡だったか、ホームレスの夫婦(内縁)の妻が、
もともとDVだった夫の妄想的嫉妬が原因で、
殺害してしまった事件が
昨夜報道されていたが、
暴力を振るうとわかっていて離れられず、
悲惨な結末を迎えてしまったとか。

この女性は、15年前にこの夫(当時は恋人)と、
彼の暴力が原因で、いったんは別れて、別の人と結婚している。

その後、
離婚して、この男性と再会して、
親に内緒で嘘を言って同棲生活に入った。
同棲とはいっても、ホームレスで、橋の下に住んでいた。

数人のホームレスがいて殺された夫は、
彼らの誰かと妻が話しているのを目にして
「浮気している」と嫉妬して暴力。

なぜ、暴力をふるうのに、離れられないんだろうか?


昨夜、デートDV
つまり、恋人に暴力を振るわれていた女性にインタビューしていた。

「親にまで危害が及ぶと思うと・・・怖くて」
鼻を骨折するほど恋人に殴られた。
渦中にいると、恐怖感だけで視野が塞がれてしまうようだ。
下手をすれば、殺されるというのに。

そのあと小西聖子(たかこ)さん(被害者学、犯罪被害者のPTSD研究)の言。

「DVは洗脳状態に陥った状態です」


オ ウ ム真理教のような宗教も、
DV加害者も同じように、
精神的にも肉体的にも「拉致」を行う。

オ ウ ムは、世界が、自分たちの予定通りにならなかったのを、
すべて外界のせいにして、殺人を起こした。

反社会的行為だとか、
テロだとかにされているけれど、
私から見れば、ただの幼稚で、わがままな人間の殺人にすぎないと思える。

殺しましたが、それが何か?

とでも言わんばかりの、ふてぶてしさだった記憶。
他人の命をどうしようとかまわない
という権利でも持っているつもりらしい。

自己への過大評価が妄想を超えて、現実との折り合いがつけられずに
暴発して、殺人を犯すような人間が、最近増えているように思う。

昨夜も、個室ビデオ店で、46歳の男が放火し、
15人を死に追いやった事件が起きた。

呆然とした表情。
ブランドしか着ないと言いはっていたという男が、
家庭崩壊してからは、下着姿で他人の家に上がり込む。

ギャンブルづけの日々。借金は数百万円。離婚、退職、母親の死・・・

男は自暴自棄になっていた。

果たして、ワタシがこの男のように何もかも失って(結構失ってきたけどね)
自我意識のバランスを保っていられるかどうか・・・

自分は自分。


個の人生を、他人と比較できるものではないと思うのだけど・・・。

今まで当たり前にあったものが壊れ、
幸福の幻想があっけない終わりを告げる。

誰だって、そうなってしまう可能性がある現代である。

この男、やつれてはいても、自分を磨いていた雰囲気が残っている。
ブランド物で身を固めれば、いい男で通用しそうだ。

だが、現実は厳しいものだったらしい・・・。

ボク、人を殺したみたいだね?

かとでも言いそうな、宙をさまよう視線。
自覚がまだ全身に回っていないようだった。

ここで火を着ければ、誰かが死ぬとは思っていた・・・


これは本人が言ったそうだが。

15人死んだよ。



ついでに言うと、
ワタシは霊媒体質で、不思議体験、神秘体験を日常的に体験している。

ここはもともと、そういうことを書こうと、このブログ・タイトルになった。

だが、書き出した時期は、現実的な平凡な人生になっていて(苦笑)

不思議なことはあまり起きなくなっていた。

「霊が感じられる」というのは、ある一時期とか、
知人などの関わりによってそうなる。
「感じられる」のは、よいものとはいえないものばかりで、
神経質になっていた時期もある。
若い頃のことだけれどね。

その繰り返しの中で、諦め、達観して、

「職業霊能者」になってゆく人と、

そういう体質がいやでいやで、
なんとかしたい人に別れるんではないかしらん?

もちろん、ワタシは後者。


職業霊能者やヒーラーというものは、
はワタシには不思議な存在だ。

私は感じるだけで、霊が見えないわけだが、
善い存在を感じていたわけではないので、
薄気味悪いと思った。
禍々しいのばっかり。
コミック「デスノート」(笑)のようなおもしろさも明確さもなくだよ。

ただただ不快感。


神経質なだけだと自己診断しても、
それだけじゃないとも確信していたから、
分析医に二年間通っていた。

で、どこもヘンじゃなさそうといわれたし(自分では信じなかったよ)
いろんな本と可能性をアドバイス
してもらったことはためになった。

当時は、外的な要因、ストレスがとれて、かなり楽に生きられるようになっていた。

霊媒体質は、内的にすごいストレスで、内面が混乱していて、
たえず自己分析(苦笑)

そこからなかなか出られなくって、周囲に当たっていた。
その時期、家族はつらかったと思う。

ココロの旅は10年以上続いた。


まぁ、今でこそ、冗談で言えるんだけど、

スピリチュアル的ココロの旅の最後は、
陰謀説とか、
神の計画とか、
前世とか、
アロマオイルなど、
生活全般のクレンジングにトリートメントとか、
自分がヒーラーになったり、

そういった道に進んで、解決を計ろうとするんじゃないだろうか。
ていうか、そういう人は多い・・・。

だけど、ことによっては、間違った道もあるわけですよ・・・。


で、若ければ、ソウルメイトを探す本を読み出すかもだ。
そのほうがいい。
出会いを求める気持ちは、とりあえず健全・・・かな。

結局、楽に生きられるステージのようなものが、

まず初めて人生に見いだせたという感じなんではないだろうか。

でも、究極のところまで解決しているわけではないから、

そのうち壁ができてくる。


まず自分を受けとめることができるということが
スピリチュアル的な考え方の第一段階のように思うから、
それはそれで良いのだが、

それって、

「これからのあなたの人生は、すべてうまくゆきます」

というおまじないでも呪文でもお守りでもない。

「あなたは、もうこれからは自分の意志で、生きてゆける自信がついたはずです!」

という卒業意識みたいなものだ。

自然にあるがままに生きてゆけないのはなぜか?
こういったテーマじたいは社会全体の問題であって、
これに迎合する必要などないと思う。

横並びで同じようにしていないと、
いじめられたり、村八分状態になる危険があるので、

また、恋愛もうまくいかなくなるので、
人並みに社会の通念に合わせるだけで、

本当はこういった外界に自分を合わせられないというのは、
異常でもないし、変わっているということでもないと思う。

だが、そういう外界に合わせられない自分が、
様々な軋轢の中、傷つき、スピリチュアルな生き方、考え方に出会う。
そこで、自分を解放できることを知る。

これって、すばらしいと思う。

だけど、問題はそれから。


自分の内部の混乱を秩序を戻して、
整理できて、
精神世界は、あるいは霊的な眼差しで世界を見つめるものの見方はよいとしても、
やはり、

自分のウチなる混乱の整理をしただけであり、

そこからは、自分の内部が、
どれだけ世界に出てやってゆけるかの実践問題となる。

それに必要なのは、

自力の工夫のみ。


社会の出来事、事件、世界情勢などの情報は
前向きで健全な精神の人間にしか、
創造的に発展させえないだろう。

そういう意味において、
虚しさや苦悩やすさみを感じる前の
自分自身を取り戻すために
霊的なものの考え方に頼ることは、ある意味よいことだが、

社会というものが不完全である上、
これまた不完全な人間が、
霊的な概念でみずからを理論武装して、
結局破滅したオ ウ ムのように、

形は変わっても、酷似した心理経過や自己表現を、
ブログ社会で、しばしば見ることがある。

霊能力を現世利益の追求に利用する
口先洗脳ネズミ講みたいな新興宗教は、
もはやその胡散臭さが暴かれて久しいのに、
未だ、そういった部分に自覚もない自称霊能者が多すぎると思う。

危険な部分は、考えもしないのだろうか。