(過去記事再掲) 『リビドーと無意識と父親との関係』……2008年 10/24(金)投稿記事

寒いっすね。
今年もあと数えるだけになっってきたんだけれど、
すでにモチ太りで(ゲプ)昨日からゴロゴロしてばかり。
もう動きたくないっす(笑)

さてと。

以下の記事は、2008年の10月24日に、記事として投稿したものれす。
最近の投稿した霊的な記事と関連する内容として、自分用の参考記事として、
スピリチュアル系の書庫に再掲するだぉ( ^ω^ ) 




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タイトル:リビドーと無意識と父親との関係


「リビドー」といえば、フロイトである。

一般的な基礎もほとんど知らないままで、
ずいぶんいらないことだけを知っている。

ニーチェの恋人だったザロメの、
ニーチェと別れてからの恋人二人、
タウスクとジルベラーはフロイトの弟子だったが、
フロイトと離別後(というより破門された)

自殺している。


カントの本で自殺する人は多かったというけど、
それほどにフロイトは大きな人だったんだろう。
善し悪しは別にして。

気の強そうなザロメの恋人たちは、気が優しい人々だったのかも。

同様の弟子、ユングライヒも、
フロイトと別れた後、思想を発展することができなかったら、
自殺していたかもしれないんじゃないか?

ザロメの恋人たちと同様の運命だったにちがいない。

フロイトとは最初よくてもみんな、いずれ破綻するのはなぜ?

などと疑問など持つのが不自然なほど、現代人は冷めているとは思う。

人間同士が、ばっちり気が合って、
その後ずっと上手く行くことの方がおかしいと思う。

気が合いすぎたら、次に来るのは幻滅と別れだろう。
ピークまで行けば、あとは下るだけだ。

男女でビビッと来てくっついた者同士は、別れるのがはやい!

お互いが胸の中で、あとからほろりとか、しみじみとか来る人のほうが、
ずっと長続きするだろうと思うよ。

いろんな人々のケースから思うんだけど・・・。

軽い気分で、浅い動機でくっついたものって、脆いのだ・・・・

で、

別れたら、それからが戦いだ。
そう、男女は別れたら戦いなのだ。

別れて、ションボリしてるなら元気がないだけだが、
相手によっては、傷つけられてボロボロになったりして、
なかなか立ち直れなかったり、

「♪別れても好きな人」

じゃあないけど(笑)
去られても、未練たらしく、ずうっと想い続けているゆえに、
情けなくなってしまうことがある。

後者は男性に多いかも。
女性って、断ち切るのがはやいから。

だけど、普通に出会っていたら、
傷ついたのはお互いであって、
一方だけということはありえないだろうと思う。

騙そうとしてでもいない限り・・・。

だけれども、
騙すつもりなく、結果騙す、騙されるになってしまうことがある。

これは、ワタシは

「業」

の一種と認識している。

人間には、繰り返す愚行のパターンがあって、
それは個人個人違う内容だと思う。

ある人は親子問題、ある人は夫婦問題、
ある人は自分の仕事の問題、
ある人は社会的な問題、
ある人は歴史的な問題、
ある人は・・・・etc

というように、人生の抱えるテーマが違うように思うのだ。

これを考えるようになったのは、
はじめて一人で暮らし始めた時期だ。

ある意味ようやくいろんなものから解放されたと思えた時だ。

ホント、いろんなものが一気に見えたよ。


私は、部屋に閉じこもり、思うことをノートに書き続けた。

「書く」ということは、癒される作業だった。

書くという事が、
実感が持てないほど身近でありながら、
呪われたような家では、まともに思考が行えず、
たまに考えること、書くことが出来ても、皮肉を言われたり、
存在を否定されるような言葉を口にする人間がいた。

彼らは本来、敵ではなく、ワタシを愛してくれる人々だった。


・・・自分のありのままの姿を求めているのに、
なぜそれを否定する人間を、
私を愛してくれていると思えるだろうか?

父がどれほど娘を愛していようと、私を理解できなかった事実は事実である。


私は努力したし、父も努力した。
だが、壁は間違いなくあった。
それを、越えることは不可能なことだった。

父は人生で間違ったことをしていたからである。

一つだけだが。

それに気付けと、何度も言ってきた。

「もう終わったことだろう」

と父はよく口にした。

父には最後まで、自分の過ちを理解することがなかった。
世間的によく見られることを選んだ父は、
家族を拠り所としていたが、
家族を犠牲にしている道だったことに気づけなかった。

自分を利用しようとした「魔」に
晩年、心を巻き取られた状態になったのは、
自分の心に嘘をついて生きたからだ。

選んだ土壌が間違っていたんだということ、
それを言うと、

「では、あの時、他にどうすることができたのか・・・?」

と父は苦悩しはじめる。

答えは死ぬまで出なかった。


多分・・・その「業」は、家族の誰かが引き継ぐことになったに違いない(苦笑)

兄が、たぶん・・・父とそっくりの人生になっているようだ。
自分でそう言った。

私は父に言ったことがある。

「親の愛といくら言ってもね、お父さんの片想いなんだからね!」

本当にそう思っていた(笑)

父親とは、ずいぶん話し合った、悔いはない。

奇跡のような最後の数年間があったが、
自分でも不思議だが、天使?のお告げを聞いたのだ。

で、

父が幸福な晩年を迎えることがわかった。
バラバラに暮らしている家族が、
それぞれ何をしなくてはならないかが、
きっとそれぞれ守護霊が告げていただろうと思えた。
そのぐらい、みんな協力し合った。

波動は乱れていたが、覚悟の上だった。

父は、「業」の深い家を選んでしまっていたから、
波瀾万丈の人生になってしまった。

家族への愛を口にしながら、

最後は、この世的な価値と終着に振り回されていた。


家族とは、彼にとっては、
行き場のない自分の拠り所でしかなかった。

自己の野心の可能性の充足が、
彼の人生観のコアな部分にあって、
家族全体から見ていなかったことが、寂しい・・・。

いろんな面から、未だ父のことは、考えている。
まだまだ研究?し、解釈しきれていないのである。

死ぬまで、父の研究は続くと思う。


なぜなら、私の身に起きた出来事は、父の生き方の理解とつながっているから。

大きくいえば、前世的なことと重なる。


今ここにいる場所は、
必ず、なんらかの縁があるのだと思う。


だとすれば、

男女の出会いにおいて、感覚でビビッと出会うとか、
セクシーだからで惹かれるのって、おかしくないだろうか。

だけど、そんな動機でも、縁のない者は惹かれないのだ。

フロイトなんかだと、

性エネルギーを「リビドー」と名付けて、
理論展開・・・すごい事なわけであるが、

フロイトにかかっては
「夢」は、無意識的欲望の充足であるのだからして、

一昨日のセクハラの夢も、

私の願望なのであろう。

下半身欲求よりは、
「ああ、優しくされてぇーなあ」
のような欲求が、
過去の人間関係の形をもって、物語になってるのだろう・
・・・とか自分では思っているが(笑)

フロイトにとっては、無意識的欲望とは性欲の事だ。


ただ、フロイトの言う性欲というのは、成人男女のセックスではなくて、
性欲を分けて、区別している。

思春期の第二次性徴以後を「性器性欲」

それ以前を「幼児性欲」と呼んだ。


また、性欲の解釈を拡大していったときに、
プラトンのいうエロスと完全に一致する」
「リビドーは愛として総称されるすべてのことに関係している」
と語った。

エロス、愛を含む概念を

「リビドー」

と呼んで、
フロイトは無意識的な欲望を説明した。

一昨日の夢は、ワタシの性欲をどう表現していんだろうか?


私は、いつか読んだことのない
フロイトニーチェを読むのが夢だった。

なぜか、読めなかった。
落ち着いた(^m^;ゞ年齢の今こそ読んでみたい。



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