LITERAさんの記事より転載………『国難』というほどではないんじゃね? でも、このヒト、そのうち自業自得の出来事が起きてくるのでは? というか、とっくの昔に来てるか(汗)

以下は、ワタシの想像で書いているが、現代人なら、誰にもあると思う内面についての雑感だ。
安倍昭恵夫人──いろいろと話題になる人なれど、関わった人々にとっては、たぶん、
便宜をはかってもらったり、彼女の知名度を利用出来たりして、おトクな思いをしたので、
彼女のやって来た事が国難に繋がるなんて発想がそもそも無いだろう。
『いい人だ』『気さくな人だ』『素敵な人だ』………
誰でも、生活を支えてくれる雇い主の悪口は言わないものだ。

だが、彼女と関わってない、しがらみのない自由な人間にとっては、その結末を観て、
彼女が諸悪の根源であると思えてならないかもしれない。

そう。
人は、考え方や価値観の違いがどうのという前に、立場や、関係性によって生じた
優劣の状態の中にあって、形式的な良い言葉を述べる。
感謝したり、相手を褒めたり、時には物で礼を尽くす。
社会的な立場や関係性の中から、忖度というものは発展してきたのだろう。
忖度そのものは、「悪い」事だとは思えないが、

忖度の強制

をしていたら、忖度の意味がなくなってしまう。
忖度を当たり前にしてもらえる状況が、もし私人にあったら……
何をか言わんや、ですなあ。


想像は続く。

私は、昭恵さんのノーテンキな性格は、空しさから来ていると思う。どういう空しさかは
わからないが、私自身は、そう思い込んでいるので、生き方を責める気持ちには、少し迷いがある。
彼女の魅力は繊細さ、繊細にして知的なところではないか。加えて、気さくだという。

実際には人間で孤独ではない人など1人もいないのだが、私は、どんな時も、何があっても
パワフルに動き回るイメージの昭恵さんを、周囲の人々は、彼女が孤独であるなどとは
気が付かないのではないだろうか。

昔、というか、昔といっても、西洋の大昔、例えば、デカルトの『方法論序説』が発表された頃以降の時代。17世紀の中頃以降。
近代的自我の幕開けになるのだろうか。無知ですんません(汗)
とあるパリのサロンの女性は、自分の自我を疑いつつ、空しさを感じつつ、その日その日を享楽的に生きていた。
ある意味、精神の縛りが解けた時代だったのだろう。
そうしたサロンには、文人、音楽家、哲学者、文化人、美しい異国の女性らなどが来て、
サロンの女主人は、とっておきの料理で客人をもてなしていたという。
そういうサロンから、様々な自由人が生まれたのだろう。
そうか、そういう自由の心地良さを知った人々の思いが広がって、影響を受けた下流の人々が、
差別社会に疑問を感じて、貧しい人々から搾取する権力者からの解放を求めるようになったのかも
しれないな。そして、革命が起きるようになったのか。
という話は置いといて(笑)
昭恵さんは、サロンの女主人みたいなイメージだ。
籠池さんもスターになった(?)

サロンの女主人は、出自や人間関係は華麗だったり、貴族だったり、特殊だったり。
たまに市民階級の人もいた。
そうしたサロンの女主人の中に、複雑な自我の女性がいた事を思い出したのだ。
ヴォルテールダランベール、何とかかんとかがいた時代です。18世紀?


昭恵さんが、芸術家に、例えばダンサーになるとか、彫刻家になるとか、作家になるとか、
プーチンと恋仲になってロシアに駆け落ちするとか、いっそ、政治家になって、「ナチュラル党」とか
政党作るとか、そうなってもとくに驚かんよ。ワタシャ……

(BGMはベルリオーズ

すんません。前置き、長過ぎ。



LITERAさんの記事を転載させていただきます




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昭恵夫人が近財職員自殺報道の夜に神田うの
安倍昭恵夫人の無神経に絶句!近畿財務局職員自殺報道の夜、芸能人参加のパーティに出かけ神田うのと記念撮影
http://lite-ra.com/2018/03/post-3891.html


1

佐川宣寿・前理財局長の証人喚問が27日で決定したが、その一方、疑惑の本丸である安倍昭恵夫人の証人喚問を求める声に対しては、安倍自民党は一貫して拒否しつづけている。
 しかし、当の昭恵夫人は国会には出てこないもののイベントには登場。17日に出席した障がい者福祉のイベントでは、「私も過去を後悔したり反省したりはしますが、あまり先に起こることを心配したり恐れたりするのでなく、日々の瞬間瞬間を大切にしたい、そこに命を輝かせたいと思っている」と語ったという。
 過去を反省するより瞬間を大切にしたい──ポジティブな人生訓としてはそういう考え方もあるだろうと思うが、問題は、その言動によっていま、国民の財産が不当に払い下げられ、挙げ句、国民から実態を隠すために公文書の改ざんという民主主義を揺るがす大犯罪が起こってしまったことだ。しかも、その罪を押し付けられようとした近畿財務局の職員が自死を選ぶという悲劇までおこってしまった。それを一体、昭恵夫人はどう考えるのか。
 だが、昭恵夫人に「疑惑の当事者」という意識はまったくない。文書改ざんの事実を財務省が認めた以降も「野党のバカげた質問ばかりで、旦那さんは毎日大変」などというFacebookへの書き込みに「いいね!」を押したり、さらには『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)の取材班が森友問題を追及している立花孝志・葛飾区議を取材している最中、立花区議のFBに昭恵夫人のアカウントから友達申請が届き、昭恵夫人は「私は年中泣いていますが、そんなに弱くないので大丈夫です」「いつか全貌が明らかになればいいですが、これ以上犠牲者が出ないことを祈ります」などとメッセージを送ったという。
 祈っている時間があるならきちんと公の場ですべてを話せばいいのに……。だが、その上、昭恵夫人はもっと信じられない行動に出ていたことがわかり、いまSNS上を賑わせている。
 じつは近畿財務局の職員が自殺したという情報が伝えられた今月9日の夜、昭恵夫人はなんと、銀座で開かれたパーティに参加していたのだ。
 この一件が表沙汰となったきっかけは、タレントの神田うのInstagramへの投稿だった。うのは同夜出席したパーティで撮影した写真を投稿しており、元サッカー日本代表中田英寿や女優の真矢ミキ、俳優の別所哲也らとのツーショットをアップしていた。そのなかに、昭恵夫人とのツーショット写真もあり、うのは「いつもキュートで素敵な昭恵夫人」という文面を添えて投稿。昭恵夫人もにこやかな表情を浮かべている。

2

御用新聞”産経の官邸キャップまでが安倍昭恵夫人に「自粛なさっては」

 この写真はいまは削除されているが、普通に考えれば、あり得ない行動だろう。9日といえば、午前中から「近畿財務局の森友にかかわっていた職員が自殺した」という情報が駆け巡り、午後12時半すぎに共同通信も警察情報として報道。14時台のワイドショーでは大々的に取り上げられ、そうした流れのなかで佐川国税庁長官の辞任が伝えられた日。さすがに昭恵夫人がそうした情報をまったく知らなかったはずがない。
 しかも、講演会やイベントならば致し方がない面もあるにせよ、この日のパーティはプライベートなもので欠席することもできた。にもかかわらず、のこのこと華やかなパーティに出かけて芸能人と写真を撮って笑顔を浮かべていたのだ。
 もはや常人の神経ではないと言わざるを得ないが、こうしたなかで、ついには安倍応援団のあいだからも「昭恵切り」の動きがはじまっている。
 そのひとつが、昨夜に産経ニュースに掲載された記事。執筆者は安倍首相に食い込んでいる産経新聞政治部官邸キャップの田北真樹子記者だ。
 この記事のなかで田北記者は〈昭恵氏は多くの人が認める魅力的な女性である〉〈第2次安倍政権発足は昭恵氏の貢献なしには実現しなかった〉などとヨイショしながらも、〈自身の置かれた状況にはふさわしくない言動が散見される〉〈自由といえども、夫である安倍首相が置かれた立場を踏まえた言動は常に求められるはず〉〈昭恵氏の不用意な言動は、政府・与党内だけでなく安倍首相を支持する層にも疑問符を広げ、政権の足を引っ張りつつある〉などとし、〈首相夫人に対して大変僭越ながら、ここは行動を自粛なさってはいかがだろうか〉とまとめている。
 昭恵夫人を安倍首相から切り離させなければ政権がもたないという産経の危機感があふれ出た記事だ。こうした危機感は安倍官邸にも広がっているとみられ、実際、19日に安倍首相は昭恵夫人について「一部を除いて名誉職をほぼすべて辞退させていただく」と明言した。
 しかし、問題は「行動の自粛」などで済む話ではない。「過去の反省より瞬間を大切にしたい」と昭恵夫人は言うが、なぜ昭恵夫人がこの期に及んでも、無神経で無責任な言動を繰り返しているかといえば、それは「過去の反省」などしていないからだ。きっといまも、自分の行動の何が悪かったのか、理解できていないのだろう。
 だからこそ、昭恵夫人にいま求められているのは、過去を明らかにするということだ。だが、それが「最大の脅威」であることを誰よりも自覚しているのが安倍首相であることは間違いない。事実、一部では安倍首相が「昭恵の証人喚問に応じるくらいなら総理を辞める」と漏らしているという情報もあるほどだ。
 どこまでも昭恵夫人を庇う安倍首相──。しかし、問題の根深さを考えれば、昭恵夫人にはしっかり国会で国民に説明する責任がある。だいたい、これ以上この夫婦がのさばれば、国家の私物化やそれを取り繕うための法をおかした犯罪はさらに横行する。これを「国難」と呼ばずして何と言おうか。昭恵夫人にはきちんと国会に立ってもらい、その上で夫婦そろって権力の座から降りていただくほかない。
(編集部)