(注:偽書から)縄文の意味を考えてみた………壱岐島観光大使である、happyさん主催の『縄文祭』への批判、相次ぐ……

壱岐島観光大使である、happyさん主催の『縄文祭』への批判、相次ぐ……


『縄文』

て、なんなんだろう。
後半、考察してみた。

アセンションと関係あるかわからんけど、(アセンションじたい意味がよくわからないので)
この記事、アセンションの書庫にしとく。


スピリチュアル系の似非引き寄せ系ビジネスで有名な、happyさんが、
自分が観光大使をつとめる壱岐島で主催した

『縄文祭』

なるイベントで、1500人が、馬鹿高い参加費を支払って、ダンスを見たり、踊ったり、
ファッションショーを楽しんだそうな。


……で、住民から、批判殺到だそうで。

………えっ?

どこが悪いの?

何が悪いの?

どうして批判されるの?


………知らん。



マダムユキさんのブログ記事からとんで、壱岐新報の記事に詳しい内容があるので、
リンクしておく。

マダムユキの部屋さんのブログ記事

まず、こちらから読んでみてね。
子宮の声から宇宙的存在の声へ
http://flat9.blog.jp/archives/77950261.html

そして、

壱岐新報さんの『縄文祭』についての無料記事

2018.10.22縄文祭、約2000人が筒城浜に集結
http://ikishinpou.com/news/縄文祭、約2000人が筒城浜に集結/?fbclid=IwAR12PIFnxGZNCtlcCPET2LTIG2rWeHJKlfhxvaEYyD_bBHxGyz5nVgC9vwg




あとは、私の雑感でございます。

コレって、住民への配慮があれば、活気あるイベントへと成長すると思うんで、
あとは、今回の結果を、振り返って、次につなげていただきたいもんです。
私は、こういう勢いある祭は、嫌いじゃないのですが。
ただ、イベントとしてのクオリティが、なんかショボそうで、夢がないなあ。

私なら、合宿でもやって、引き寄せセミナーを、ここで定期的に行うようにして、
祭は地域の方々が潤うよう、地域交流の場にしたいと思うだろうな。
お笑いタレントとか、踊りとか、必要ない。
見合いイベントとかも、定期的にやると、面白いかも。


縄文がテーマなら、アワノウタや、神代文字を学ぶ機会を作ることもあっていい。
月読神社があるなら、そういう事やってる人はいそうな気もするが。

神代文字も、アヒルクサ文字、トヨクニ文字、出雲文字などありますからね。
(ワタシが学んでるヲシテ文字もネ)

日本の天皇は、エジプト→インド→日本じゃん。まあ、大雑把に言うと。


以降は、偽書といわれているものを研究している人の書いたものを参考にしています。

日本の歴史は、よくわからなくなってる隠された歴史がある。
日本ていうのは、高句麗百済新羅が、日本の倭国、ヤマト国、日向国、いろいろあるけど、
あ、ヲシテやってるのに、忘れちゃいけない日高見国も、その他、各地に、小さな国が一杯あった。
例えば、アラハバキ族。この神は、10代崇神天皇が完全に禁止してしまい、衰退します。

というか、ここで、本で確認したところ、8代孝元天皇の頃、荒覇吐王十一世武波日彦王の時、
衰退が始まったようです。
元々、耶馬台国が故国だったようですね。それを奪い返してのち、アラハバキ族に内紛が起き、
日高見国と、倭国に分裂した。この分離が、アラハバキ神衰退の始まりとありました。
ちょっと、別の機会に、記事にしたいと思いますが(~_~;

だから、こういう、いにしえの統一、分離、戦争、統一、また分離、というような経過が、
隠されてきた部分が多い。
この龍の姿をした現在の国土の範囲だけでなく、かつての日本というのは、もっと広く、
世界的に発展した国だった時期もあったとされており、そのひとつが『出雲』だったという説も含めて、
平安時代以前に文字もあった、文明も豊かだった、空飛ぶ船もあった、というコトも隠されてきた。

縄文時代というのは、三内丸山遺跡が発掘されて出てきた物品で、縄文時代の未開な
原始的イメージは払拭され、非常に豊かな文明があったというのが、今では定説だが、
縄文の頃の神というのは、私は、いまいち、わかっていないんだけどね。

『ホツマツタエ 』を勉強しているのだけれど、文字を追うのがやっとσ(^_^;
踊りや歌が出てくるところは、縄文時代かなと思う。
当時の「神」については、出てくる人、すべて、神扱い。
トヨケ、その子、イサコ(イサナミ)夫、タカヒト(アワナギの子、イサナミ)、2人の子、
ヒルコ(ワカ姫、産屋筑波山
ヒルギ(ワカヒト、アマテル、産屋はらみ宮(富士山))
モチキネ(ツキヨミ、産屋筑紫(九州)ツキスミ(月隅・月柱)
ハナキネ(ソサノオ、産屋和歌山そさ国・熊野)
3人目が月読だが、月読の事は、ほぼ知らないが、月読神社があるという事は、
その辺りで生まれたり、育ったり、治めたりしていたのかもしれない。


まあ、縄文祭つーなら、せめて、耶馬台国の歴史くらいは、大雑把でも、
掘り返して、関連するメニューを入れないと、意味がないんじゃないっすかね?
舞や、歌がそれになるのかな。


縄文ていつからいつまで?

Yahoo!知恵袋
いつからいつまでが何時代なのか、縄文から教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14171025699

B.C.8000~300【縄文時代】(新石器時代)

B.C.300~200頃【弥生時代】(水田稲作・金属器=小国の発生)

紀元前後(倭=百余国)

4世紀頃~【大和時代大和朝廷が大部分の日本を統一~562年任那新羅により滅ぼされる

562~709頃【飛鳥時代】(蘇我氏聖徳太子大化の改新大宝律令)

710~792頃【奈良時代】(平城京長岡京東大寺大仏)

794~1192【平安時代】(平安京・藤原貴族・承平の乱平治の乱平清盛)

1192~1333【鎌倉時代】(源頼朝鎌倉幕府・北条氏執権・貞永式目・文禄、弘安の役元寇」)

1334~1335【建武の中興】(天皇親政による公武統一政治が実施されるが失敗)

1336~1392【南北朝時代】(1338室町幕府北朝、公家(吉野)=南朝・1392南北統一)

1392~1467【室町時代】(足利将軍家・明国との勘合貿易)

1467~1573【室町(戦国)時代】(応仁の乱下剋上織田信長・1573室町幕府滅亡)

1573~1600【安土桃山時代】(太閤検地豊臣秀吉関ヶ原の戦い)

1603~1867【江戸時代】(江戸幕府徳川将軍家享保の改革寛政の改革天保の改革大政奉還)

1867~1911【明治時代】(廃藩置県自由民権運動・日清、日露戦争)

1912~1925【大正時代】(第一次護憲運動・デモクラシー)

1926~1989【昭和時代】(満州事変・日中戦争・太平洋戦争・日本国憲法)

1989~現在【平成時代】




耶馬台国が分離して、日高見国と倭国が出来た。

耶馬台国は、東の日高見国と、西の倭国に分かれてしまった。
耶馬台国の神さまは、アラハバキ神だったんですね。(この成立も後半に書いた)
9代の開化天皇は、アラハバキ神(荒覇吐神)から、アマテラス(天照大神)を最高神とする、
八百万神の日本神道への神改めを人民に押し付けた。
次の崇神天皇が、政令によって、完全に禁止した。

アラハバキ神の成立まで

満州、朝鮮を経由して、越に上陸、加賀、三輪に居住した蒙古から来た人々が、後に大和盆地に移住、
彼らの神が(彼らが耶馬台国のもとを建設したとされる)かなり省略するが、アラハバキ神となった。
それよりずっと昔、津軽(東日流)に来た人々は、阿蘇辺族(アソベ・シュメール)と、次に
津保化族(ツボケ・テーベ)で、彼らにも、それぞれ個性的な信仰があった。
(これも詳細略す)

耶馬台族53代安日彦の頃、筑紫日向の佐怒王の東征があり、耶馬台国は7年も苦戦。破れ、
安日彦は、弟・長髄彦とともに、東日流(津軽)の地に退去し、先住民の阿蘇辺族と、津保化族
などと併合し、アラハバキ族として、東日流王国が誕生。信仰も統一された。

ここまでにしますね。

耶馬台国について、書いても、コレが縄文なんだかどうか………知らん。
ホツマツタエの世界は、天の巻は、ヒタカミコクですから、ビミョーなとこっすね。
アラハバキ神から八百万神へ神改めの強要をした開化天皇前の孝元天皇は、倭国の王ですが、
アラハバキ神を、白山神と三輪山の大元の神と位置付けたし、「日高見国を安国と定め」と、
大祓の一行にあるように、まだ、アラハバキ神を認めていたんですが。
この孝元天皇開化天皇欠史八代天皇ですね。いなかったものとされている。
2人とももと耶馬台国から分かれた2つのひとつ、倭国の王です。

もうひとつの元耶馬台国の日高見国というのは、弥生時代なのかしらね。
ゴメン、無知で。
こういうのを調べていると、景行天皇ニギハヤヒでは、という説もあるので、
もっと、勉強したいなと思いました。