(2008 10月13日の記事再掲)エゴという『私』……………自我の防衛機能 『否認』

懐かしい記事ですが、あらためて、読んでみて、ナルホド☆でした。


私は、誰よりもキツイ霊媒体質者だったけど、沢山の本を読んで、
自分を客観的に見る訓練を積んでいた。
必要だったから。
生ききれない人生をm生き伸びる為には、沢山の私への他者の愛と、
私自身の意志が必要だった。

自分を客観的に見る事が出来ない人は、反省を行う状況に、自分を置く事が出来ない。
反省が出来ない人には、スピリチュアル的な世界観を追求することは、かなり危険だと思う。
これは警告に近いかも……

自分の自己実現、つまり現世利益が目的なら、
それは、巷の、レベルの低い宗教団体の信者と同じで、
少しも、何の為に生まれて来たかをわかっていない事になるんだけれど…

勉強しよう。
自分の内的エネルギーを、自分のユニークな世界に回収して、
建設的に、創造的に生きてゆく、ポジティブな自分の夢を見出す為に。



………………………………………ここから、本文

精神衛生的に良くない状態なので、
ここらで、

精神病者や、被害妄想や、露出狂について書いておこうか。


無知な自分のために。

「エゴ」とは「自我」のことであり、「私」のことである。

これはフロイトの言ってることだ。

こう言い切ることは極端だが、
これがフロイト先生の前提であることを
覚えておくとしましょうね。

フロイトにとっては、
「私」は「超自我」であり「エス」である。

自我の発達とか、自我が伝統の担い手となるとか、
理論が崩壊しているとか、
フロイトの「私」とは実際の“私”のすべてではない
とか、いろいろ批判のあれこれは棚に上げて、
彼の論を語るね。

フロイトの言った、自我の持つ防衛規制について。
コレは原型は「抑圧」である。

抑圧とは、それを意識すると、苦痛や罪悪感を味わうことになる観念や記憶を、
無意識に意識のソトへ排除してしまうことである。

無意識ゆえに、そこに振れられると不快感を覚えるのだ。


以下、
「否認」「分離」「反動形成」「取り消し」「同一投射」

について、説明してゆきます。
(ここでは、『否認』のみ)







否認

現実をあるがまま認めない。
現実から目を背ける。
「事実」を過小評価することがともなう。
敵と一戦交えるとき、「敵の勢力は大したことはない。簡単に撃退できる」
と敵の力を過小評価するなどが、これにあたる。
敵の力を認めると、とても戦えないから。

フロイトは精神病を説明する際に、
この防衛規制を用いている。

神経症者」はまず「エス」の欲求を抑圧するが、
精神病者」は、まず現実を否認する。

エスというのは「自我」に対する「超自我」とでも・・・
ニーチェのいう「超自我」のイメージでいいのでは?
フロイトエスの概念を、
グロデックという医者から引用したが、
彼はニーチェの影響を受けている。

フロイト「イド」ラテン語を用いた。
ニーチェのいう「エス」は、ドイツ語だが
英語では「it」非人称代名詞。

「無意識」的な「自我」ともいえる。
自我も防衛規制も、大部分は無意識だという。

フロイトによれば「エス」の中には、
「もろもろの欲動からくるエネルギーで充満している」
そういう「混沌」なのだ。
快感原則によって、欲望欲求を満足させようという動きのみしか持たない、
全体的意志がない。興奮した状態がある。
単なる「自我」とはちがう。

説明へたですまん!




参考資料は

フロイト以後 講談社現代親書 鈴木晶