【人生と霊現象と】昔のダチっぽいサイトをみつけたなり……父の話とかも……とにかく、1980年代前半のある時期に集中した、霊的なネタですよん (-.-;)y-~~~

昔のダチっぽいサイトを見つけた。海外に居る。
画像が彼女だったんで、そこのアドレスに、メール出した。
 
 
最近、歳をとったせいか、昔のダチに会いたいと思っている。
引っ越しが続いたんで、連絡が取れなくなってんだワ。
昔と同じところに住んでいるのかしら?
20年以上前のクリスマスカード……

20台前半の、バスの車掌のアルバイトのときに、旅行社に就職が決まっていた彼女、
大手ホテルのレストランで、お祝いしたの覚えてる?

私は出版社(アルバイト)にいて、夢を叶えてたんだけど……
彼女も、大手の旅行社に決まって、いずれ、海外に行くことになってた。

私達は、当時、何を考えていたのだろうか?

まだ、ウチの父親が、当時のショーワ天皇から、勲章をもらう前のコトだった。

祖父と、父親が、勲章を天皇陛下から頂いておるのであるが。
愛人に、返って来るはずのない膨大なカネを貸して、立派な家を建てる手伝いをして、
カルマを重ねた無責任な明治生まれの祖父なんかより、父のほうが、ずーっとエライと思っている。

戦争に行った最後の世代の父は、ひとつの会社一筋に、生涯尽くした。
私は、そういう愛社精神、というよりは、滅私奉公的なあり方が理解出来なかった。
会社というものは、父の思いには、絶対に応えないに違いない、
いずれ、父の思いを裏切るだろうと思っていたからだ。
それは、父にとっては、辛いことだろう。
事実、そうだった。
けれども、父は、ある意味、死ぬまで働いていた。
向こう様から、相談されるんである。今でいうコンサルタントのような感じだろう。
役に立つ人間というものは、一生食いっぱぐれる事はないのだろう。

世俗的に立派だと言われる人間を、身内に2人見てきた私──
いくらダメダメ人間でも、最低限のヒトを見る目は、あるつもりだ。

根拠なく他人の悪口を言う人、個人情報を不純な動機で使用する人、
自分の金儲けだけが目的で、人を騙していてるのに、自覚のない人、
自分の非を認めず、責任を背負わない人、などなど、世間には、信じられないくらい、
他人に迷惑をかけたり、利用したり、重圧をかけたり、騙したりすても平気な人々がいる。

あの、バブル時代は、日本は、似非ユダヤ系金融資本家に騙されていたのだと思うが、
いわゆるフリーメーソン(?)………てな話は、今日はやめよう……

私と海外に渡ったダチが会っていた頃は、父の生涯で、頂点を迎えていたの時期だったと思う。
誰でもそんなものだと思うが、ピークが過ぎると、彼の人生は、逆回りの回転を
始めたように見える。
恵まれた環境で学んだものが、試される時期が、父に訪れたのである。
それは、死ぬまで続いた。
父は、ショーワを中心に生きたが、ヘーセイに、その使命を終えて、
肉体を脱ぎ捨て、異次元に移行した。

そのショーワもすでに終わり、ヘーセイに変わり、30年が経過、
そのヘーセイも終わろうとしている。

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ココから加筆なのだが……

大天使軍団が、私を支配し始めたのも、この頃だったような気がする。
これまでも、何度も書いてきたように、大天使軍団と、大悪魔軍団とは、
切っても切れない縁なので、同時進行で張り付き合ってると考えていただきたい。
「大」を付けたのは、組織的だから。
恨みや執着を持って死んでから悪霊化した、フツーの邪悪霊とは、区別していただきたいから。

私が相手するモノは、チャチイものではない。(汗)
つーか、それだけ、私の育った環境にいる人間や先祖が、呪詛されてもおかしくない、
悪い事を、他人様にしてきているのだと思う。
あずかり知らぬところで、縁を作られて、カルマ化していて、本当にメイワクな話だが、
実は、私自身の前世の縁も絡んでいたりする。
もう、何が何やら。

ひとつの家族に、最低一体は、大悪魔軍団の底辺を仕切る悪魔のキングの連絡先となる
地縛霊がいて、その霊体が、自分が張り付いた家庭を不幸、不運に落とそうとして、
人々のココロに罠を仕掛けてゆく。
思うに、現代、悪霊の控えていない家など、ほとんど無いように思うのだが……
まあ。
信じようが信じまいが、自分1人がどれだけ頑張っても、うまくいかない現実がある人なら、
思い当たる事があると思う。

悪霊達の目的は、人間の持つ無理、無謀、無知な欲望と一致する。


自己実現というのは、現世利益のコトだよね。たぶん……
私は、自分の欲しいものは引き寄せてきたが、渡米したダチと会っていた頃は、
というか、少なくとも、その時までは、真剣に、一生懸命、一途に、純粋に、
世界と向き合っていた。
家族のあり方すべてに反発してきたから、自分で全てを引き受けるしか道は無かったから、
道無き道を進むしかなかった。
ある意味、立派でもあった。

全てを、自分自身で引き受けようと思っていたから、道が開けたのだと思っている。
自分で自分の、未来の責任を引き受けようと思う事無しに、望む現実を引き寄せられるとは思えない。
何もかも、自分の手と足で、行動するのだ。

若い時期に、心が綺麗で純粋でなければ、歳を重ねてから、良い精神状態が訪れるはずがない。
それでも、やり残した事があったから、人生は完成していないし、私は成熟していない。
『何かが足りない、満たされていない』『これがあれば、完璧になるのに』という事ではない。

私を導いてくださった大天使軍団に、借りがあるのだ。
借りは、返さねばならない。
人生は、そうなっている。


ところで、チャチイ引き寄せなんぞを凌駕する、サトリの世界とリンクする霊的現象は、
ココロというものを第一に優先させるのだという事をご存知だろうか。

こういう議論となると、お金が常識、空気、人生にとって必要不可欠なものというのが、
当然の前提となっているので、結論は、迷宮に入ってゆくのだけれど。
そういう世界観が重要であるという事は確かであり、
では、ココロを優先させる生き方とはどういう事なのか、考えてみて、至ったのは、
命と同じ価値を持つとも思われているお金の使い方の動機が問われるという事では
ないだろうか、という思いだった。

一般的な引き寄せ理論は、望みの現実を引き寄せるという事になっているが、それは、
自己実現、現世利益だ。
人生を否定的に捉えなくなるだけで、劇的に人生が好転するというのは、全く理に適っている。
人生を悲観的に捉えたり、勝ち負けばかり意識している劣等意識の強い人や、諦め気分の強い人
にとっては、かなり、明らかな人生の転換を実感出来るだろう。

だから、元々、人生に前向きで、楽観的な人にとって、それほど、引き寄せ理論は、
役に立たないのではないかと思っている。
(そんな単純なものでもない?)


(まだ未完……_| ̄|○..........................)