記憶X………必然という自然 (未完)

ワタシの霊的変化は、大雑把に言えば、2016年くらいまでだと思う。
2011、3.11までは、霊的現象はない事もないが、あれほど、現実から、浮き上がった感覚ではなかった。
1980年代をあとから回想すると、驚くような意味が見えてきたりしたように、いつか、
そんな時が来るのかもしれない。

3.11以降、叩き起こされた人々の中に、ワタシもいたが、ワタシに来た通信の意味に合致するモノは、
ネット上にも、ガラにもなく、解答求めて出かけた外界にもなく、そこには、混沌と混乱が常に、
渦巻いているだけだった。勉強にはなったが、正直、すべてに失望した。
ワタシは、大抵のスピ・ビジネスに必要な霊能力も、気功などのヒーリング能力も持っていると思うが、
必然の用がない限り、能力の発動はしない。発動する時は、ワタシがというよりは、背後の善なる
霊達が指示する。
それは、ビジネスで行う訳ではなく、魂的な人生の成り行き、生成、構築の中で、必然の要請があって、
行われる。
ワタシの能力は、創作にも同じ事が言えるが、必要があって、身に付いた能力なので、人間から、
伝授されたものではない。
ワタシに関連する、高次元の善なる霊が、熱心に指導し続けた結果として、そして、ワタシ自身も、
苦痛にのたうちまわりながら、自分なりに創意工夫して、これ以上ないくらいの努力で、
苦しみから逃げず、逆に、すべてを受け入れてきたゆえに、知識、知恵、能力が、段階的に、
身に付いたのである。
それは、理屈ではなかった。

霊的な能力は、前向きな人格と無関係では、良い形で、持続させる事は不可能。
後ろ向きになって、そういう能力を用いれば、良くない未来が待っている。
霊的な能力というものは、徹底して、神の子に捧げられるものである。
心ある生き方をしようとしている、すべての神の子である人間に、生かされている事に感謝して、
捧げるべきものなのだ。
要は、善なる霊が求める尺度が高過ぎて、「目先の楽」や、「自業自得の結果としての苦痛」を
削除する為に、術は使えないというだけの話であり、また、こうした能力は、邪悪な霊によって、
固くなったり、疲れた身体を楽にする為に、つまり、自分を救う為に、身に付いた能力なのであって、
それ以外に、例外を除いては、用いる事は許されない。

3.11の時から、おかしな出来事が続いた、という事が言えるが、捉えどころのない状態でなく、
はっきりとした認識が伴っているのは、耳鳴りが始まった2013年からである。
白昼夢のような幻影を見たり、ありえないほどゾッとする波動を他者の背後に感じたり、
幻影と吐き気がしてくるほどの荒んだ波動、四次元宇宙霊、そのほか、チャネリングといえば
カジュアルな霊媒のようだが、霊媒現象は霊媒現象である。
危険がつきまとう事は自覚していた方が良い。

霊媒現象というのは、憑く霊体のレベルによって、受信者の未来も変わって来る。
『霊が語ってくれる……嬉しい』と、単純に喜べるものではない。
ぶっちゃけ言うと、人間には、ありえないほどの数の彷徨える霊が、良いか悪いかはさておき、
誰にでも憑いたり、離れたりしてると思う。
だから、ある会で、宇宙語のように、レロレロ、話しているのを聞いた時を思い出しているが、
憑いている存在は、解放されたがっているんだなあと、つくづく思う。

ワタシは、霊的な事を行う時に、気功や、揉みほぐしでも、同じやり方なのだけれど、
引き算方式で、術を行っているように思う。
つまり、まず、憑いているものを取る時に、大物から試す。
{{{サタン→地縛霊→細かい雑多な霊の順。
この憑き物の排除については、人間の心のレベルや、状況に沿ったモノが憑いているので、
まず、憑いている状態と、正常な状態の違いを知る必要がある。
感情の動きを調御しながら、感情を出してしまう自分を、客観的に見る事が出来るまで、
訓練する必要がある。
結構、多くの雑霊が憑いていたりする時もあるが、レロレロ、ブツブツ、口から、
出て来るほどの現象があっても、気にしないほうがよい。
『こんなに多く、どこで憑けたんだ?』という事より、まずは、本来のその人自身が、
自分自身を取り戻せれば良いのだ。

心身がおかしくなってきて、苦しく、自分を省みる余裕がなくなってきている人がいた。
本来の自分に戻れば、自然に自分を省みる事が出来るのだが、自分が変だという自覚はあるが、
元に戻れなくなっていた。
好きな事をする時も、その人は、ズーンと心身は重苦しい。その人は、自分の感情を見る訓練を、
ずっとしてきたので、よけい、その「重苦しさ」を違和感を持って、感じていたはずである。
それは、素晴らしい成長なのだが。
憑いているという事が、どのような状態であるかを、「知っている」という事は、
すでに問題解決に近付いている。


3.11以降──そして現在。

結論は、結局、『自分を40年間、指導する存在が、何なのか?』という事だった。

1980年代、どちらかといえば、危機的心情から、自分から救いを求めた。
今から思えば、自分で自分を、凹っている状態だった。
やってきた天使軍団の、超絶、聖なる波動と、その後近付いてきたサタン的な存在の
黒々とした、邪悪な、頭痛を伴う荒んだ波動。
人間に完璧な者はいないが、当時のワタシは、聖なる部分と、汚れかけの部分の両方を
持っていた事は自覚している。

本来は、善と悪が共存できるはずはないが、現代は、変化してきているのではないだろうか。
『あんな、いつも明るく挨拶する人が、あんな残酷な事をするなんて!』
そういう例は、数え切れないほど、あったと思う。
人間は二面性どころか、アルジャーノンではないが、いくつもの顔を持っている人がいる。
二面性など、当たり前なのだ。

交通安全の旗を持つ、いつもの優しい近所のおじさんが、エキゾチックな容姿の幼女に、
異常な関心を持っていたりして、とんでもない行動に出たり、
しつけと称して、我が子を死なせても、『あれはしつけだった』と言い続ける父親がいたり。
(子どもが死んで、悲しくないのか?)

一見、安心出来る人物が、実は、異常な一面を持っているというのは、もはや、当たり前に
認識されるようになってきたけれど、それでも、まだまだ、異常な内面を見抜けるだけの
洞察力は、育っていないかもしれない。
だから、新たな事件が起きる度に、『そんな事もあるのか……』と学んでゆく。


やがて、1980年代のワタシは、自覚なく、歪んだ面を持つ友人との縁を持ちはじめた。
自分の事しか考えない、他人との関係は、自分の尺度からしか、認識出来ない人々──
そこから発展した人間関係が、相当なヤバさを可能性として持っていたらしい。
段階的に、守護霊がストップをかけた。
よほど、そちらの方向に行っては危険だったのだろう。
その時期は、ワタシの守護霊は、ワタシの内面に良くない影響を与える環境から、
離れさせようとしていた。

ワタシは、守護霊に反発していた。自分の感情を大切にしたかった。
好きに自由に生きたかった。
だが、当時のワタシの『自由に』というのは、身勝手さを基とした自由だった。
ちゃんとした生き方や、しっかりした人生プランや動機があって、そうしたい訳ではなかった。
『欲』を最重要に置いた、生き方だった。

道が見えなくて、ヤケになっていたのかもしれない。
現実逃避だったかもしれない。
サタン的なモノの誘導だったのかもしれない。

その時の自分については、守護霊は、
『心にある存在が、本当に、あなたの為になる事を言っているかどうか』
吟味しなさい、と言っていたように思う。
『本当に、心から、あなたの為になる事を言ってくれている存在は誰か?』
考えなさいと……

そういう時期を経て、ワタシは、ようやく、本格的に、思考し始めたように思う。
常に、悪魔と天使は、共存していた。
毎日、苦痛にやられていたし、空しくて、のたうちまわっていた。
だが、狂ってはいなかった。
だから、問題なのだった。

その時期だったろう。
ワタシは、東京で暮らそうとしていた。
やりたい事を、本格的にやってゆく一歩だった。
(そうだった! 思い出した……)

ところが、である。
住居を契約して、住むだけとなった時に、ワタシの身体が、動かなくなって
しまったのだった!
その理由は今でもわからない。
結局、当時は、行動的になったものの、『挫折した』という事だ。

何故か、この後の記憶が2年分まったく抜け落ちており、記録もない。
モヤッとした、曖昧な、輪郭にはっきりしない意識と、思考力のない受け身な状態が
続いていたような覚えがある。
とにかく、心身が、動こうとすると、ブワッと、霞がかかる感じなのだ。
心身が気が抜けてしまい、意識が薄れる。でも、行動できるという不思議さ。

後に、バーナデット・ロバーツの『自己喪失の体験』の本を知り、内容にあるような状況と、
類似した体験をしていたと気付いた。
不思議な時期は、1年半続いた。
その間にも、霊的な出来事は色々あったのではないか。今は、思い出せないが。

『神戸に行け』と、霊体に言われたのは、そういう時期だったかもしれない。
無力感を抱えていた。真に、心が空虚だった。

神戸時代の事は、また思い出したら、別の機会に述べる。

心について、考える時間をもらった神戸から戻って、再び、汚れた人間達と出会う事になり、
この時の経験が、現在の自分の、世間知の一部となっている。
奇妙な事だが、「汚れた人間」というのは、一般的な人々の大半がそうなのだ(笑)
ゆえに、生きづらくなっていたワタシにとっては、既に知っていた人々で、
汚れた(?)人々の存在は、ありがたかった。

やがて、守護霊の言っている言葉は、予言に変わった。
それは、『ここには行くな』とハッキリと言われていた場所に、ワタシの意思でなかったが、
結局、行く事になった時、守護霊が『行くな』という意味が理解出来たのだった。
それは当たった。良くない事が起きた。
感情では、どんなに好意を抱いていても、ワタシが出会ってはいけない世界とか、人物がいるようだ。
そういう人々と、ワタシは出会っていたようだ。
本来は、もっとはやく、気付くべきだったが、人間は、とことんまで行かなければ、
(時には、地獄に堕ちなければ。あるいは、重い病や事故にならなければ。あるいは、
手酷い裏切りにあわなければ等)気付けないものなのかもしれない。

で、ワタシは気付いた。
だが、真から理解したかどうか、当時は怪しかった(苦笑)

今なら、馬鹿みたいに、たやすく理解出来る、こういった当たり前の世間知が、
ネット世界を眺めていると、結構無い人が多いのは、驚く。
子どものように、純粋な人々が多いのだ。
ワタシからみて、こんな、見るからにサギな、やり口になぜ引っかかるのか、
という人達が、信じられないくらい膨大な数いる事に、驚く。
手口を変えただけの、カルトや、宗教や、中途半端なスピリチュアルに、簡単に引っかかって、
お金を巻き上げられて、人生の無駄な回り道をさせられて、その後も、別の同様の類を
転々としながら、身近なところにある真実から遠ざかってしまう──

さんざん食い物にされた彼らは、スピリチュアル的なモノを転々とするか、
見向きもしなくなってゆくだろう。
そこに、科学的な考え方が、新たな宗教として登場すれば、どうなるだろう。
スピリチュアルでイヤな思いをした彼らは、彼らは、今度は、「科学」というカルトへ
向かう事になるのだ。
ワタシは、スピリチュアル系のビジネスも、闇支配者の人類支配の方法だと思っている。
そこで食い物にし、そこからこぼれた人間も、受け皿を準備し、優しく受け入れるふりをしながら、
実際には、新たな宗教、カルトに人々を導こうとしているのだ。
決して、人間達に、思考させないようにして、支配者の言いなりになるよう、教育するのである。

ワタシは、かなりの霊媒体質であるが、本を読むようにしていた、というか、読まないと、
空しく、時が過ぎて行くだけだったので、ひたすら読んだ。(主にビジネス書だった)
ほとんどが未知のジャンルのものだったので、時間は無駄にならなかったと思う。

常に、自分を客観的に見るようにしていた。
ほんの少しでも、自分が成長出来たら、空しい時間に、大きな意味を与えてくれる。
だが、自分を客観的に見られるようになったのは、霊的な道に入って、かなり経ってからの事だ。
これについては、長い話が必要になってくる。

実のところ、ワタシの苦悩の真の原因は、反省がしたくても出来ない環境だった事にあった。

これについては、既に、解答は出ている。
その事が、人間の諸悪の根源となっている事も見抜いている。
その上で、では、どうする事が、最善の方法なのかという事もわかっている。
そこから、離れる事だ。単純な事だ。

だが、人間は、長い時間そこ(現実的な場所とは限らない。長期間悩んでいたなども含む)にいたので、
離れ難がたい思いがあり、悪縁が続くにもかかわらず、状況が悪化していっているのにもかかわらず、
行動出来ない時間が続く。
事態は少しも解決に向かわない。やがて………

また、悪意のある誰かに、罠にはめられ、抜け出しにくくなっている状況というものもある。
自分から、知らないうちに、自分と誰かを罠にかけていた、という例もあるかもしれない。
この他、例を挙げれば、きりが無いくらい、人間のする迷いに満ちた行動には、色々な状況、経過、
結論として引き寄せたものがあるだろうけれど、要は、その状況に、ズッポリ入っている状態では、
客観的に自分を見つめ直す事など、不可能だという事なのだ。

このような、問題解決に対して、どれだけ努力しても、身動きが取れないという状況を、
誰でも経験しているのではないか。
これこそが、『カルマ』、あるいは『業』と呼ばれているものではないかとワタシは、認識している。


自分を振り返れない環境にあるという事は、結果として、『邪悪な存在に狙われる事になる』
要因の中で、かなりの割合を占めるのではないだろうか。
本来の自分と、日々の生活で感じる、不快感や不満感への文句が、心に曇りとして積み重なってくる。
いずれ、ワタシ達は、それらを振り返って、曇った状態を解消しなければならなくなるのだが、
中には、解消しないまま、曇りを心にこびり付けたまま、それが自分自身だと思い込んで、
生活してゆく人々がいる。

原因がわかってくると、より、努力しようと思う。

人間は、心の状態を見ないで、歪みや。すさみや、かたよった考え方を、そのままにしておくと、
やがて、とんでもない状況を迎えることになるだろう。
恐ろしい。

……脅すようだが、事実である。

それについては、書いてきたし、これからも折に触れ、書いてゆく。


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コーリー・グッドらは、サタンを、宇宙に流れるAI的な存在ではないかと、予測している。悪いドラコ(良いドラコもいる)ですら、AIサタンに、やられているのではないかと予測している。


ワタシは、2011、3.11以来、奇妙な霊的体験が続いていた。
当日、見えない世界から、通信を受けた。
・日本は呪われているという事と、
・大地震が自然なものではない事。

2011、3.11の時のそういった霊的通信がなかったら、人工的な地震なんて、思いもしなかっただろう。
そのくらい、ワタシは、外的世界について、自分の置かれた環境について、認識が、眠りこけていた。
ワタシの目を覚まさせたのは、今となれば、何らかの目的があって、そうしたのだろうと思える。
基本的な霊的な技術は、持っていた。
気功も出来るし、除霊も浄霊も出来る。ワタシの特徴は、サタンを退ける能力だ。
(しりぞけるだけで、サタンの浄霊は無理。サタンは、キリスト・イエスか、ミカエルには負ける)

サタンが憑いているかどうかは、ワタシは霊査を行う。それを行って、波動が変化して
良くなれば、『憑いていた』とわかる。
実際には、既に、ワタシが視る時には、『体調がかなり悪化している』『人間関係が末期的に悪化して
いる』時がほとんどだった。
『サタンが~、悪魔が~、ルシファーが~』と言っても、バッチリ「憑いている」ような人は、
吐き気がするような表情、波動などを発散しているのだろうから、誰もが嫌悪し、近付きたくない
んじゃないか。
ここでいう、『サタンが憑いている人』というのは、まだまだ可愛いもので、そうなる手前の
予備軍であって、そういう人々は、どういう人々かというと、罠に嵌められた人や理不尽な目
に遭って、恨みを消せない人や、『今に見てろよ』という情念がマイナスに働いた人々だろう。

『サタンが憑いていた』人は、いずれ、よくない結末を迎えるので、生き方をすべて変える必要がある。
いったんサタン的波動存在を取り除いても、心構えを根本的に変えなければ、再び、
よりパワーアップした状態で、サタン的なモノが憑くからだ。

ここで、加筆しながら思い出すのが、ネットでの憑依現象である。
何が憑依するのかが謎であるが、様々な念の集合作用とでもいうものが起きるのだ。
似たものが引き寄せ合い、異質なものは離れる。
集団マインドコントロールというか、そういう現象に陥る心理状態に、実は、
ネット利用初期の頃、ワタシも経験があるが、それは別の機会に。
それとは別の、ネットのブログのコメント欄で生まれ得る、1対1の聖域化現象について、
10年ほど前だったか、あるブログで観察していた事象を書く。
誰でも客観的に見ているだけで、その異様な感じはよくわかったはずである。
ワタシも、読んでいたブログだったので、途中で、気付いたのだった。
不思議なくらい、カルト宗教のカリスマ教祖と、盲信者の関係に似ていて、危険だなと。
何故か、ワタシは、そういう問題のある場所に引き寄せられるので、ゴタつく経験は、
もうコリゴリだったにもかかわらず、そこから、派生した様々な、ゴタゴタを引き寄せていた(笑)
総じて、情緒不安定、あるいは、病んだ人々のブログだった。

そうなる原因は、大抵の場合、類友の法則と、おかしく思われるかもしれないが、祈り、あるいは
呪い(まじない)の作用だと、ワタシは思う。
これについては、個人的には見抜く自信があるが、証明は出来ない。そういう怪しく、妖しい世界の
領域は、書いたところで、騙される人は騙される。
騙されてみて、初めて、人生の奇妙な、様々な王道の顔をした、あぜ道を知る機会が来るのかもしれない。

ネット時代には、ネットは、現実のカタチある社会とは違う、一種の霊的世界に似た、独特の法則が
支配する領域である事を、理解する必要があるのだろう。

3.11の通信は、日本国自体が呪われているというもので、意味が理解出来なかったが、
現実的に、調べてゆくと、
政治家の3分の2が半島系出身者であったり、
TV局には、半島系の特別枠があるとか、
芸能人は半島系の人しかなれないとか、
そういう事実にビックリ……もしなかったけど。
まあ、何とも思わない事はなくなった。
ビミョーな問題意識………


しかし、スピ系の情報とビジネスの氾濫にビックリした。
そういうスピ系ビジネスの背後に、ワタシは、カルト宗教の臭いを感じた。
宗教的な背後がいるかどうかにかけては、結構、カンは鋭いと思う。

「ハッピー」ちゃんとか、「子宮番長はる」さんなどを追求していた人々も、くくりとしては、
狭い視野において、批判しているのだと、認識しながら、現実に帰ることが必要だと思う。
「MKウルトラ」のような実験は、人間に関して、多くの情報を得ただろうし、
どうすれば、人間の心や精神を支配出来るかどうかなどについては、陰の支配者達は、
研究済みだと思う。

スピリチュアル思想は世界中にばら撒かれ、人類支配の為に、宗教に人間を縛りつけようと、
あの手この手であるが、宗教的な概念自体が、人間の暗示に陥りやすい傾向を利用したまやかしであり、
真実ではない。
試しに、現実に、真実とはどういうことかを、自分で思考してみるとよい。
身近な人間とのつながりに、真実が見出せない場合は、危険だと言える。

ワタシは、『神はいる』と思うが(唯一神のイメージ)
いわゆる、人間を通して、神が姿をあらわす事はないと思う。
サタンが、やたら、宗教団体やカルト思想団体を人間に作らせるのは、
神になりたがる傾向があるからだと思うが、なぜ、サタンは、自分の素晴らしさに
満足出来ないのだろう?
かつては、『神』という概念が、宇宙にあったという事なのだと思う。
サタンが、羨むくらいなのだから、相当、人間の尊敬を集めていたのだろう。

ふと、数年前、サタン的な波動が去る時、ある捨てゼリフを吐いた事があった。
それは、『アガシャーには負けない』というセリフだった。
アガシャーの名前は知っていた。
『んんん? アガシャーって、誰? リチャード・ゼナーの?』そう思った。
アガシャー教会というのがある事は知っていた。
アトランティスの王様だという話だ。高橋信次さんの本にも書いてあったかもしれない。
アガシャーこそは、サタンにとって、宿敵なのかもしれない。
サタンにとっては、人間から尊敬される事が、いちばん、彼の求めている事であって、
神を抹殺する事が、彼の最高の喜びなのだ。

個人的な霊現象体験ピークは、ソチ・オリンピックの2014年(平成26年)2/23で、
フィギュアスケートの真央ちゃんの演技で感動した直後から、
異様な体験、波動を察知したほか、何度も書いてきたが、4次元宇宙霊のような、
黒っぽいアリ型人間の集団を見てしまった事も含めて、奇妙で、ゾッとする時期があった。
そこから学んだ事は、お祭り騒ぎに浮かれることの危険さであった。




(2019、4/2(火)に、編集した記事。もっと読みやすく、修正する予定です