「絵のパラドクスと言葉のパラドクス」 吉田夏彦著 言葉への思いこみ? ずれてゆく会話

・絵のパラドクスと言葉のパラドクス 吉田夏彦 (岩波書店 1986年刊)


かなり前、エッシャーのだまし絵に惹かれて古書店で買った本を、
今回たまたま手にとって読んだら、以前とちがい難しい本だなーと思った。

で、27章あるうちの、25章「自分と他人」てとこだけ読んでみた。

言葉を上手に使えば、自分の気持ちは伝えられる、相手の言うことも
わかるはずだ、と思い込んでいるのが人間であるーーうんうん、と
これは一応納得。
しかし、わかるのはここまででした。

あとは、
ゲーデル不完全性定理を用いて、我々の陥りやすい思い込みについて、
著者が述べている・・・ような気がする(笑)。 
・・・ううううう、ゲーデルの言ってることなんてさっぱり理解できない。

がんばろう。(T.T)それによると・・・
要するに、誠心誠意「言葉」を使って、どんなに整った表現をしても、
自分の気持ちを「言葉で伝えた」かどうかはわからない、
ということ・・・らしい。

落語の「こんにゃく問答」という話を例にして説明している。
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こんにゃく屋さんが、禅寺のお坊さんに化けて、旅の禅の
お坊さんと問答をする。
旅のお坊さんは、身ぶり手ぶりだが、こんにゃく屋さんは、
商品の自慢をやはり身ぶり手ぶりで話す。
旅の僧は、それを禅に関するすばらしい真理を述べたのだ、
と誤解して、参って退散する。
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まったく違ったことを言ってるのに、つじつまが合って、
どんどん進行してゆくんである(笑)。

自分と相手との会話なんて、こんなもんなのかもしれない。
日頃、本当に伝えたいことから遠ざかってゆく会話が多いんじゃないか?
ということを考えさせられた。

「言葉が表現するものは一義的に決まってこない」というモデル理論の定理があり、
このこととゲーデルの不確実性定理とは関係があるという――と言われたって、
わかんねーよ。orz


・・・ややこしくて、難しいことを考えなくなった私には難解な本だけど、
飽きない。読むうちにわかってくるというか。(内容というより味わいが)
(と、疲れてきたので、無理にまとめる(ー、ー;)


だまし絵の世界
http://tricart.picpear.com/2006/09/post_75.html
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