高校教師のあいつは今? その他、古い映画の「高校教師」

古い映画続きで、恐縮ですが。
(中古DVD選びが趣味でもあるので)

「高校教師」という映画がある。
今、なぜか観たくなっている。

ペトラルカを愛するアラン・ドロンが演じる高校教師。

教職者の教え子との純愛? ロリコン? 変態!? 

 ?H2>…うーん、わからない(^^;


古本の映画紹介で読んでいてるうちに、気になってきた。

自分の記憶の中のある高校教師を思い出す映画だと思った。
ゆえあって、彼は劇作のほうに行ってしまったが。
傷付きやすいロマンティストだった彼だった。
(ああ、あんなやつのことを思い出すとは…!)

今こそ、インスパイアされたいと思っているワタシ。

けれども、変態で、エッチなストーリーであれば、
創作にはずみがつくわけでもない。


たとえば、「ラ・マン」という映画は、
友達がエッチな映画だというけれど、
性のシーンがいくら出ていても、全然いやらしくない。

むしろ、性的なシーンが出てこない映画で、
エロスを感じる映画がある。

抑制の効いた表現で、ぐいぐい未知を想像させてくれる。
最後までお預けだったりして(笑)。

たとえば、年の差が親子ほど離れたカップルがいる。
でも、普通に自然な感じがする秋吉久美子さんみたいな場合もある。
たまたま年齢差があっただけみたいな。

そうでなく、不自然で、不健康なカップルがいいなあと思っている。
求めてるのは、そういう感じだな。

不健康なカップルがいい。

一見、常識的でなく、不自然に「見える」だとか、「異常スレスレ」だとか、「変態ちっく」だとかに見えかねない感じでOK


でも、単に不倫じゃつまらないし、しつこい表現、乱暴である、
イジワルであるというのではダメだ。

んで、
美しい物語になっていることが条件だ。
(我ながら厳しいね(苦笑)


あくまで、創作の源泉として、創作物でも、現実でも、
そういう人物を味わいたい。
(昔はそういう人が周囲にいて、疲れてたけど)

でも、もうひとつ、譲れない条件がある。

あくまで、本人たちにとっては?純愛?でないとダメです!!



地味でオクテ、いじいじ、オドオド、うだうだ……
そういうのをとっくに越えてしまった、
恥知らずな登場人物たちに、
地味でオクテな人生のほうがよかったんだよ、
「俺を見ろよ、悲惨だろ?」
「私が幸福に見える? 若くして死んでしまうのよ~」
などとなぐさめられて、自己肯定したい(笑)。


美しい思い出、私にだって、
あるにはあるけど、
今は

思い出せない。



ひとりごとです。(^^;)
久々ゆったり。のんびり。ひとりごと。の深夜。

(この記事、改稿か削除の予定)