ネットの誘惑? ワクワクすることがネットにはないのだ

人はネットで何を得るのか

私にはネットで得るものは、実際ほとんどないと思うのだが、
それは私が、感受性の豊かな年頃に
ネットを日常的に味わっていないから、そう思うのだろう。

たとえば、岸谷五朗が好きだったことがある。


彼を毎日聴いていたんだよね。
彼を聴きたくて、予定を番組に合わせていた。
ホンジャマカの恵トシアキ(字がわからん。痩せたほうの人)と
いい味を出していた。
当時、ゲストで出ていた安達裕実が小学生じゃなかったかなあ。
のちに結婚したプリンセスプリンセス奥居香とは、
奥居の番組が岸谷の前だったから、ここで知り合い仲良くなったのだろうけど。
「香ちゃんとお寿司を食べにいったよ」と話していたなあ。


ラジオで彼の優しさに惹かれて、
リスナーだった頃の私は、
若かったけれど、今より若いというだけで、
高校生だったわけじゃない。

それでも、感じるココロは今よりずっとずっと
やわらかくて、傷つきやすくて、可憐だった。

今では、「え? 可憐だって? 誰が? ご冗談を」「それ以前の問題だろ! 痩せなきゃダメ!」と言われるだけだ。 わはははは(^◇^;ゞ



岸谷五朗はやがてTVの仕事で忙しくなり、
ラジオから少しずつフェードアウトしていった。

ドラマに出るようになったからといって、
とくに彼のファンということはなく、
ラジオに出ていた頃の彼が好きだったことで
懐かしく思うだけである。

当時のラジオは、確かにワタシを誘惑していた。


私は、岸谷がどう開花するか期待していた。
彼は将来性のあるタレントだと感じたのだ。
そこがワクワクできたところなのだ。
けれども、思ったほど彼のファンにはならなかった自分が不思議だった。
私はワクワクの「経過」を味わうのが好きなのだと思う。

さて、ネットはどうかというと。

基本的に、ネットでワクワクするものは何もないと感じている。
これまでもそうだった。
だけど…と思う。

動画やゲームにワクワクする人々がいる。
私も動画にワクワクした時期がある。
だけどやがて飽きた。
動画はタレナガシのように感じられた。きりがなかった。
ストックを垂れ流しているだけのようで、
背後に人の温もりが感じられなくて、なんとなく飽きた。
ネットは動画やゲームだけではないけれど、
はやい結論だけど、ネットが私を誘惑できない理由はそこにある。

だけど、ネットの未来には期待している。
月にロケットが飛ぶのを期待するのと同じ程度の感じで。

月に人が降りていようといまいと、ワクワクなどしないのだ。ワタシは…。