実話かフィクションか、影響を受けたゲイ殺人物語に関してメモ

ジャズプレイヤーが、つきあっていた同性の恋人を殺してしまう。
これだけで悲劇であるが、それを牢獄の中で綴る。
それを本にする。

それが図書館に置かれ、誰かに読まれる。

影響を受けた誰かが、それをもとに、よりストーリー性のある話を創る。
けれども、そうなるには、影響を受けた人間Aは、ジャズプレイヤーのような裏切りを経験していなければならぬのである。

あくまで裏切りに泣いた自分であらねばならない。

そういう立場であってこそ、ジャズプレイヤーとAは悲しみを共有しあえるのだ。

こういった経過で、苦悩の体験は、創作という型式を用いて昇華されうる。

(メモです)