攻撃的「被害者意識者」と鈍感な「自己満足者」

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夕方にしては、あまりにも美しい木々の間から洩れる陽光・・・

一昨日、通り抜けた某公園。

落ちてゆく赤い球体が、一日の終わりを惜しむように
あらゆるものを照らし出していた。

光は、ものの本質。

憧れてやまない慈悲の理想体が
太陽。

すべてを癒すものといえる、その太陽を

太古の人々は
現代人より、

奇跡を起こすものであると、
深く深く識っていた。

洗濯物を乾かすためには、
乾燥機より、太陽のほうが
私は好きだ。

当たり前になってしまった 
奇跡の数々を
新鮮な思いで問い直すとき、

都会では邪魔な情報がありすぎるように思う。

もっとココロを自由にして、
想像の羽を広げて
奇跡を識る旅に出たい。

内なる世界に旅立ちたい。

ココロの病んだ人を見ていると
内向的な人と
外向的な人がいるけど、

意識がソトに向いてる人は
攻撃的になる。
混乱を抱え、自分の正しさにこだわり、
変わるべき時を逃す人もいる。

愛を太陽のように施しているつもりの
まるで慈悲の安売りをして、自己満足に陥っているようだった。

ソトなる混乱は、
自分と関わりなき出来事のごとく
認識。

そんな、アサハカな
ノーテンキで
幸福な人間もいる。

ほわわん

と周囲を優しく包むことができるけど、
低迷
低水準
人のココロの本音見落とし

やがて
自己満足ループにご帰還

ココロは「被害者意識」でいっぱいな人より、救いがたいかも・・・。

自己内部の混乱をソトに散らしている自覚も、
事態をおさめる器がないとも
自覚がない人・・・


さて、攻撃的な内面の者は、自分に厳しいと、相手にも厳しくなる。

人間関係はかたくなになって、

相手に怖がられ、

理解しようとする人は減るだろう。

その人間にとって、
すべては他人のせい。

愚痴愚痴愚痴愚痴
不満不満不満不満

初めから
相手のココロを無視

そんな人間に
誰が正直に言葉を言うだろうか?


自分に自信がない人間であるか、
やるべきことをしていないだけなのに、

目の前の人間に、
自業自得の人生のツケを
支払えと脅迫するような禁じ手を
使う外道に落ちたら

もう、

社会はその人にとって
敵にしかならぬ。

おどおどと生きて行く未来はその人の内にある。

だけど、その人には
一生懸命さと
一途さがあるとしたら

そして、もうひとつ

人間を信じる道筋ができたら

世界は変貌してゆく。

太陽は、誰のなかにも赤く輝いている・・・。

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後半は自分のことでもあります。
道の途上にあっても、太陽はやはり輝いてくれています。

歩くべきでない道を歩いてしまった人間の、
失敗や挫折の意味は、気付いてからの自己にあります。

太陽に身も心も癒してもらえることを
実感したことのある私です。

でも、本当にココロから理解するのは難しい・・・。

(加筆済)