アートへの接近と挑発する都市 または意思する主体と価値ある未知を暗示する外界 なんちて・・・(^^;
はやい話が、日常をアートに近づけたいと思いつつ
なかなか思い通りにならない現実に溜息ついている自分がいるとする。
なかなか思い通りにならない現実に溜息ついている自分がいるとする。
その自分が
メディアや外界のイベントや知人友人の、あるいは
あかの他人の(笑い)活気ある活動というか意欲に刺激されて
自分を
メディアや外界のイベントや知人友人の、あるいは
あかの他人の(笑い)活気ある活動というか意欲に刺激されて
自分を
今にも殻を割って外に飛び出しそうな卵の中のヒナのように感じて
じれったく思っている状態を想像してくだされ。
じれったく思っている状態を想像してくだされ。
そう。
最近、ワタシはムズムズしている。
創作への一歩を未だ踏み込んでいないというのに。
創作への一歩を未だ踏み込んでいないというのに。
創作以前の感覚的な言葉以前の領域で
老いた精神を前に
老いた精神を前に
うんざりする以上に
逆境に燃えている自分がいる。
逆境に燃えている自分がいる。
都市よ
そして
文学的に、こう言ってやろうじゃないか。
未完に終わった世界征服への夢が(笑)
野望が必要以上に沸々と湧き上がってきているのだ。
つーても、創作上のハナシであります。
野望が必要以上に沸々と湧き上がってきているのだ。
つーても、創作上のハナシであります。
恐怖と不安と嫌悪に全身が被われている時ですら
私が自分を保っていた。
真摯というよりは壮絶であった。
私が自分を保っていた。
真摯というよりは壮絶であった。
ワタシは自分が好きだ。
実は理屈抜きで信じることができたわけじゃあない。
ワタシだって生ききれなかった。
ワタシだって生ききれなかった。
見えない世界に憧れるというより、
それを次の段階としか認識しないワタシであるが
基本的にそれがワタシのすべての基である。
それを次の段階としか認識しないワタシであるが
基本的にそれがワタシのすべての基である。
記事タイトル関連はここまでで(笑)
実はタイトルとは何の関連もない内容を書いてみたい。
いや、実はとってもとっても関連はあるんですけど・・・・
実はタイトルとは何の関連もない内容を書いてみたい。
いや、実はとってもとっても関連はあるんですけど・・・・
目先の発想のような価値観が流行しては新しいものと入れ替わる。
思想も社会通念も常識も時代からの要請であり、普遍的なものではないものは多いと思う。
思想も社会通念も常識も時代からの要請であり、普遍的なものではないものは多いと思う。
勝手なことを言うけど
「国のために生きることこそ価値ある生き方である」だと言ってる人々は、
おバカだったんじゃないだろうか。
これはワタシの主観にすぎないんだけど・・・
今もそんな人が多くいる。
「国のために生きることこそ価値ある生き方である」だと言ってる人々は、
おバカだったんじゃないだろうか。
これはワタシの主観にすぎないんだけど・・・
今もそんな人が多くいる。
悪い考えだとは思わないけど。
私だって右肩あがりな考えだとか知人に言われたし。
よしあしでなく、国が個人に良いことをしたかどうかという話である。
相当片寄ってるんで、半分ジョークとして聞いてほしいです。
私だって右肩あがりな考えだとか知人に言われたし。
よしあしでなく、国が個人に良いことをしたかどうかという話である。
相当片寄ってるんで、半分ジョークとして聞いてほしいです。
ワタシの実感からすれば
この国にワタシは何もいいことをされていない。
教育も環境も家族の価値観もひっくるめて
国が人間個人個人の心まで支配して
縛りつけて、抑圧して
この国にワタシは何もいいことをされていない。
教育も環境も家族の価値観もひっくるめて
国が人間個人個人の心まで支配して
縛りつけて、抑圧して
それが家族のあり方にまで影響し、それは
流れ流れてワタシの本来の姿まで抑圧したのだ。
流れ流れてワタシの本来の姿まで抑圧したのだ。
「自由に生きなさい」と言いながら
「みんなと同じようにしなさい」とも言っている状況だった。
「みんなと同じようにしなさい」とも言っている状況だった。
どちらからも離れたワタシだけど。
コリン・ウイルソン
がすごいと思ったのはワタシの前世まで食い込んだ深い謎は、彼でフロイトよりも簡単に解けたのだ。
さて。
謎解きが終われば、次は
価値観の変容はこの経過中におきるかもしれないけれど
まだ、本当の人生を生きてはいない状態だろう。
まだ、本当の人生を生きてはいない状態だろう。
ドストィエフスキーのように、地下生活者?の自分についての手記を何度も書き(笑)
自分の内部の
弁護士と検事と天使と悪魔があれこれ議論を重ねて
自分の内部の
弁護士と検事と天使と悪魔があれこれ議論を重ねて
他人や自分をとことん見つめてみる。
自分を救い上げることができなかったら
自分の中の心理学者が分析する、とならないか?
自分の中の心理学者が分析する、とならないか?
こういったことをやるのは
自分を救い上げることが目的だから
自分が心理学者としてスキルがなかったらば
ていうか、余裕がなかったならば・・・・
自分を救い上げることが目的だから
自分が心理学者としてスキルがなかったらば
ていうか、余裕がなかったならば・・・・
ここで現実の心理学者に接するのもいいかもしれない。
自分に起きたあれこれをサバサバした気分で見つめられないとき
心は老いているのかもしれない。
心は老いているのかもしれない。
結局
人は誰もが世界征服を夢見ていると思う。
あるいは一度は夢見たことがあるに違いない。
人間とはそういうことを志向するように創られているのだろう。
ニーチェやショーペンハウアーあたりの受け売りかもですが。
あるいは一度は夢見たことがあるに違いない。
人間とはそういうことを志向するように創られているのだろう。
ニーチェやショーペンハウアーあたりの受け売りかもですが。
原罪の意識というのか、カルマというのか
そういうものを個人的なミッションとともに身につけて
生まれてくるのだろう。
そういうものを個人的なミッションとともに身につけて
生まれてくるのだろう。
いちいち検証しなくたって
自覚できると思うけど・・・・まあ、そういうのが人間なわけで。
自覚できると思うけど・・・・まあ、そういうのが人間なわけで。
こういうことを文字化できた場合、なるほどなあとワタシなどは思うわけだが。
世界の汚濁の混沌のなかに呑み込まれてしまった人間の多さこそが
社会の混乱の原因の一つかななどと思ったりする私。
社会の混乱の原因の一つかななどと思ったりする私。
もしかして出版されてるのかも・・・新しい本を買わなくなってるので
ワタシのチェック不足ならご容赦を。
ワタシのチェック不足ならご容赦を。
ところで。
ネットのシステムそのものが論理的であり、美しいとかなんとかいう人は多いけど、そのシステムの奴隷になって、心も脳も腐食してゆく人々の多い現実は、コリン・ウイルソンにとってはどうなんだろう?
たとえばの話だが、
アトムのような人間に奉仕貢献する善良なロボット予備軍のようなシステムばかりでなく
「アイロボット」(アシモフ原作)の中に出てくる“ヴィキ”のように
ビッグブラザー化したシステムの化け物も存在しているかもしれない。
アトムのような人間に奉仕貢献する善良なロボット予備軍のようなシステムばかりでなく
「アイロボット」(アシモフ原作)の中に出てくる“ヴィキ”のように
ビッグブラザー化したシステムの化け物も存在しているかもしれない。
ネットのシステムの場合、人工知能というより、愚かなワタシが想像するに
ネットワークを操れる立場のあくどい人間の野望かなあ、たとえば世界征服みたいな──
それをネットを用いて思いを遂げようとするイメージかしらん。
あああ、イメージ貧困でごめんなさいです、汗!
ネットワークを操れる立場のあくどい人間の野望かなあ、たとえば世界征服みたいな──
それをネットを用いて思いを遂げようとするイメージかしらん。
あああ、イメージ貧困でごめんなさいです、汗!
社会的に弱い立場の自分を受け入れられず、けれども日常彼らは周囲から
「いい人」と印象を持たれているにもかかわらず
ネット上では堂々とできる、本当の自分で自己表現ができる──それはとてもいいことだと思う。
「いい人」と印象を持たれているにもかかわらず
ネット上では堂々とできる、本当の自分で自己表現ができる──それはとてもいいことだと思う。
なぜか。
自分を縛ることになるからである。
振り返ってみてほしいけど、
あなただって自分の気持ちが唯一これだ、ということなんて
一時的な結果でしかないと知っているはずである。
あなただって自分の気持ちが唯一これだ、ということなんて
一時的な結果でしかないと知っているはずである。
恋愛ばかりではない。
今の気持ちは次々と変化するし、頭のなかはあれこれ情報が飛び回っている。
こうしよう、ああしようと決めても、次々新しいやりたいことが浮かぶはずだ。
こうしよう、ああしようと決めても、次々新しいやりたいことが浮かぶはずだ。
根拠?
ないです(笑)
ないです(笑)
このテーマで誰か本を書いてほしいなあ・・・・・
記事タイトルと関係のない内容は
実は今と深く関係している。
実は今と深く関係している。
今は生きる意志を人並みに持っているワタシであるが
道なき道を歩くにしても、実は人間同士の関係が背後に隠れていたりする。
自分のことを本当に大切に思ってくれる人が両親でないとき
私たちは孤独を感じるけれど
私たちは孤独を感じるけれど
実は
形を変え
姿を変えて
姿を変えて
時に本、時に友人、時に袖すりあう他人によって
こだわりが不思議に解ける時がある。
こだわりが不思議に解ける時がある。
(読みにくくてすみません。後に修正する予定です)