ワタシの善なる尺度は、自分が幸せになるよう生きているかどうか、である。

人間の心は弱い。

人間は関わりから、内省を通して痛みと共にそれを学ぶのだ。

さて。
誘惑には様々なものがあると思う。

被害者意識の強い者は、相手を正論でやりこめたくなる経験があるだろう。

それは人間関係の破壊まで進むだろう。

そういう性格の人間には、争いへの誘惑は多い。

見えている現実を「事実」であるかのように錯覚し、判断ミスをしがちなのも、このタイプ。

ワタシなどは、そうかも~
(=^▽^=)ニャハハ……

さてさて。

被害者意識の強いタイプならずとも

人生をやっていたら、自分のなかに、何らかの憎しみがない人は少なくない。

サタンは人間に憎悪の念を抱かせることが大好きだ。しかも大得意。

目的に向けて、人間に「猜疑心」や「大義名分」の思いを人間の心に抱かせることで、背後から巧妙に人間関係を操る。

ワタシの目に見えているもの。
いわゆる精神のダイナミズムとでも言おうか……。

たとえば、どれほど救いがたい最悪な状態に見えていても、
よき方向に進みたいと思うことで、救いはあるものではないだろうか。