神秘な思想の営み……意味による瓦解はなぜ起きるのかについてまとまらない雑感

いかなる一途な道であろうと

立派な理念があり、深い思慮を用いた強烈なカリスマが
見事な体系で人を感動させ得たとしても

始まりにおいて事実の領域にわずかでも嘘があり
きつい性格だったり
経過に偽りを用いたり
もちろん他人に利用されたりした場合もだが

神秘な思想、ひとつの信念による営みが
時と共に

たとえ形が残った場合でも

意味においては、やがては瓦解するのではないだろうか。

最近、気付かされた。

大抵の宗教は、未知の領域に
不完全な人間とは違う完全なる善の存在(神)がいて
悪を滅ぼす力がある。
選ばれた人々だけがその恩恵を受けられる。
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なんてパターンだ。
目新しい教義ではない。

神の概念が、進化したにすぎない
ショボイETに変わっても同じく。

宗教はカルトばかりである。

しかし昨今は、あらたな視点、意味においてでなければ
力によらない大衆の説得など無理だろう。

倫理的であるか
この世的に有益であるか
人間を大切にしているか
自然に頭を下げているか
極端な考え方でないか
無理をしていないか
早すぎないか
足りないものはないか…

ほか沢山