大義名分を掲げて、正義のために闘う状況というのは
大抵、始まりにおいて、エゴ思念が存在している。
大義名分によって、自分にとっての“悪”を責めて挑むあり方は、
個人的な善悪を社会に問うている。
彼(彼女)にとっての真実が、かつては
革命的で、創造的で、普遍的であったものが
いまや、自分の真実を問い、真実を崩す悪を排除したいという
健全な動機によって生きている。
かつては浮遊していた自由人のごとき軽やかさは姿を消し、
重力が彼(彼女)を支配しはじめる。
彼(彼女)は、自分自身の真実のために生きはじめる。
社会は、彼(彼女)にとって、哀れな犠牲者ではなくなるのである。
意味不明なまま、終わり★