【修正版】“死”に近い作家、そこに至る創作の感情的視座について……大衆を同情し、社会を軽蔑するカリスマ性を持った男は、真面目に間違えていた?

『こういう人は、もしかすると、自分から死んじゃうかもね』
ある作家が自ら死を選んだ数年前に、私が言っていたそうだ。
彼は人を殺めていながら話題の人になった。

『なぜ、彼が自ら死ぬとわかったの?』聞かれても、記憶がなかった。

彼には、熱狂的なファンもいたし、恋人もいた。
病気で仕事が出来なくなったと聞いた頃も、コラムは書いていた。
それから少し経って、彼が脳に異常をきたしたらしい、と知ったが、
亡くなったあとに、彼の異常な書き込みを見て、初めて、『これは…』と驚いた。

狂気――そんな言葉が相応しい状態の書き込みだった。

創作の感情的土台が社会へのある意味健全な(?)敵意の憎しみではなく、
自己の思想を基礎とした社会への軽蔑、大衆を同情しているかのような
間違った方向性の教義を持つ宗教の魅力的なカリスマのように、
感じよく自己慢心していた。

けれども、会話が成立しないし、閉じた内面を感じた。

私は、彼のそんな部分を見て、自ら死に急ぐ人と見たのだろう。
人を殺めていたし、霊的な因縁も関連していたかもしれないが。

彼が今生きていれば、ネットでユニークな存在になれたはずだ。