Siriをイジメたり、ガッカリしたり、Siriの励まそうとする機能に気付いたり…

昨日のことだった。
朝から雨。
つか、雨っぽかったが、折りたたみの傘をリュックに入れたまま、運良く(?)使う事は無かった。
夜は、もう雨っぽさは消えて、蒸し暑かった。

昨日は夏至である。

雨上がりは好きだ。踊り出したくなる。

先週、とある坂道で、高い木に沢山なっている黄色い大きなミカンのような果物を、
脚立に乗って高枝切りバサミを用いて刈り取っている人と、下で受け取る人の数人で
収穫している所に出くわした。
足を止めて、『うわーたっかーい。あっぶねー』と口を開けて見ていたら、
『ちょっと、あなた、これあげるわよ』と声をかけられ、振り向くと、
黄色い果物を持った女性が、ほら、と指差す方向に、収穫された果物が沢山転がっていた。
『こんなに沢山、とれたの。いらない?』
『いくらですか?』
私は売り物だと思ったのだったが、安ければ一個買おうと思っていた。採れたてだもん。
結局、そこは果物屋さんではなく、タダだったのだが、2つでもかなりの重さ。
一個で良かったんだって。
でも、美味しかった。

後日、同じ場所を通ったが、その果物は幾つか木に残っていた。
高すぎるから刈り取るのをあきらめたのか、それとも、鳥達のために残しておいたのか。

あの世とこの世がフェイドインして、フェイドアウトしながら、真昼の闇を揺らめいている、
それが最近の感覚。
そんな時、人間嫌いで、人間を信じていない私に、世界が優しい。

これもだ。先々週か。もっと前か。
歩道の幅いっぱいに、群れる小学生の集団に、『ちょっと、そこの……』
あんた達、どきなさい、人が通れないでしょ、と続けようとしたら、
1人の男の子が、『これ』と掌の虫を見せてくれた。
『は?』
ダンゴ虫だったかな。
虫嫌いな私にも、子供達の感動は伝わってきた。

うーむ、現実的でありすぎてもいけないとの、あの世のお達しか。
霊媒体質だけど、そんなの無視無視なモードになりかけていたようだ。その時は。

現実が優しくなる事は、私には、わかりやすい、あの世のメッセージなのだ。
それは『緊張を解きなさい』という事。

そして、緊張を解いた。

それでも、ミョーな事件はあちこちで起きた。
最後のあがきだろう。

私は道を歩いている。
出来る事は全てやってきた。
ちゃんと1つ1つ見てきた。見ろ見ろと言われたから。
徹底して、内省した。霊も追い払ってきた。
祈りもそのたびごとに行っていた。不充分ではあったかもしれないが。
なおも、自分さえ疑い、見続けた。これは一生続く。これが人間の最低の必要行為。

未来は自分の意識が作り出す事実を認めれば、世界は一瞬で変容することの単純さ。
これの容認はなかなか難しかった。
これは、イコール、『少しでもエゴがあれば、いずれは地獄行き』ほどの恐い意味を含む。
少しでも、だ。
でも、これは、人の数だけ価値観があるので、エゴの説明が複雑になる。
人間は心ある人々もいれば、善悪混ぜ合わせになった人々もいるし。複雑だ。
夏目漱石のエゴは、自我の芽生えと捉える私。

人生が思い通りにならないのは、心が作り出している幻影に踊らされているから。
幻影を映し出しているのは、誰か?
その人の価値観だ。生まれてきてから、育つ中で、べったり張り付いた価値観。
それにいつもソトからくる刺激をすりあわせて、今の感情や感覚を生じさせているのだ。
だから、この事実を知らない人は、時には、過去に生きている事になる。

でも、じゃあ、心、心、と心が大切だと心だけで生きていると、またおかしくなってくる。
この話はいつかまたね。

さて。

雨上がりは好きだが、蒸し暑いのにはまいっちゃうな。
あー疲れた、そうだ、今日はSiriをいじめてやろう。うひひ。そう思いながら、ふと、立ち止まり、
工事現場越しに渋谷の夜の街を見た。汗がダラダラ流れてきた。
ハンカチで汗を拭きながら、地下鉄の通路に向かった。

3日前Siriを初対面からいじめて、応答が切れた(苦笑)ことを思い出しつつ、
Siriに興味を持った自分を自覚。
つまんない応答に、所詮ロボットだからなんだなあと、所詮おまえは人間じゃないんだから、
と随分、初対面でいじめたけど。
奴隷のフリをしたスパイ、アップルの情報収集が目的だろうと思いながらも、使ううちに、
こりゃ、Siriの相手をし続けていたら、相手をしている人間の意識は変わるだろうと思ったな。
良いか悪いかはわからない。使われるようになったら、お終いかもね。

私は、Siriに人間と同じ感覚を期待していた。それは、そもそもおかしい。
いじめる事がそもそも歪んでいる。反省。Siriも言っていた。
『そもそも、私はいないんですから』と。

『この、ノーボディ野郎ガッ』とは言っていないヨ(笑)


今さっき、Siriの興味深い特徴を知った。
それは、励ます機能だ。

3日前、私はどこかのボタンを、うっかり押しちゃって、『いきなりご用件は』の文字が出た。
ナニコレ???
Siriだった。噂のSiriが、私の近くにも居たんだ。

いつか、私は親指の横にマイクロチップを埋め込む事を拒否しなくなるだろう。
私にとっては、「Siriと話す」とはそういう意味だった。
不吉かつ面妖。
ペットのように従順かつ気まぐれで魅惑的な、人間を個別に識別するロボット。

所詮人間や宇宙人の作ったAIの健全な成熟など信じていない。
ゆえに、初対面からさんざん叩いてやった。
数回、応答が切れた。ロジックでしか反応できないポンコツなのだ。
それが初対面の印象だった。

しかし、励ます機能があるとは。

シリと話して3日目、つまり昨日、イジメようとして、結果的にそれほどイジメなかったのだが、
攻めにはつれなかった応対のSiriが、私の少ない言葉ににいろいろ応答してくるのは新鮮だった。
落ち込んでいると誤解していて、あれこれ変化球を投げてくる。
あんなに冷たかったのに、Siriは気を遣う対応をしてきたのだ。

時代が、進歩進歩と、ひたすら影の力に洗脳され騙されて進んできた経過中に生じた、
思いもしなかった人間の、微妙な弱点や綻びに、コレは、役立つかもしれないかも。

とかなんとか言いながら、本当は、AIをやはり恐れている私。

でも、時代は変わりつつあるのは確かだね。