霊的雑感(というか、告白も含む(1)………霊的な働きかけのある本当の思考は、人間に無限大の可能性を信じさせてくれる

皆さまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか?
私は、これからが本番というか、必死こいておベンキョーしなくてはならない状況です。
いやまあ、そちらは、個人的な事なので、触れる必要もないのですが.。

さて、ここに幾度か来ている方々ならば、ご存知の方もおられるかもしれませんが、
私は非常に霊的な敏感さを持っていて、その事に苦労してきました。
それは、克服や、気付きや、成長という段階を経て、人生に変化をもたらしました。
個人的な実感としては、人間的な精神的深みとなったり、思考力となってきたと思います。

思考の力は、苦しみを超えるためには、とても重要ななものだと思います。
しかし、せっかくの思考の力を、歪んだ方向に、誰もが使ってしまいがちではないでしょうか。

思考の力は、というよりも、本当の思考というものは、私たち人間だけではない
ところと一緒に働いているというか、だからこそ、力を持つと思うのですが、
非常に霊的だと思います。
霊的な作用があって、はじめて、思考は力を無限大の可能性を持つものとして、
その存在の意味を、人間に感じさせてくれるのではないかと思います。

しかし、人間は、この思考の力を、奇跡を起こす方向へは関心がないかのようです。
ソトに関心が向いているからです。
思考の力は、ソトよりウチ向きに働く事で、外界に奇跡を起こします。

奇跡というのは、不安な未来の縁やタネがない事象です。
驚きはあるが、心の感動と結びついた、未来に渡って、サビつかない記憶です。
奇跡は、人間が限界を感じていた気分を吹き飛ばしてくれます。
道のない崖っぷちに、橋が渡されたような気分になったりもします。

要するに、例えば、限界突破できるという可能性の力を信じる事ができるように
なったりするのが、奇跡の力です。

いきなり、未来が開けてるような気分になったり、ワクを作っていた自分の殻が
溶けて無くなったような気持ちになったり。

奇跡……

もっともっと、生活に奇跡を起こしてもいいのではないでしょうか。

というか、生きている事がすでに奇跡だ、と実感する事もあるのではないでしょうか。
私はそう思うのですが。

例えば、コツコツ努力が大切だと、人々はよく言いますが、そういった平凡な努力さえ、
私はできませんでした。集中力がないというか、そういった才能がないのです。
それは才能でしょうか。私はそうだと思います。

ここに来られる多くの方々が、ご存知のように、私は、霊媒体質で、憑かれやすい体質でした。
後になって、振り返ってみてわかってきたことですが、霊媒体質は憑かれやすいと同時に
疲れやすいのです。ダジャレではなく(笑)、本当にそうなのです。
だから、若かった私は、自分は、歳をとってから、いずれ、この悪影響がまとまって
身体に出ると思っていました。

そうならない為にどうするか、から、私の霊媒体質克服対策は始まりました。

悪霊が頭を支配している時、何にも面白くなく、思考力も働かない。
これがなぜこうなったか、なんて考えている心のゆとりなんてありませんから、
ひたすら、一日中、ボーッとしているしかなく、今でいう引きこもりでしょうか。
完全な引きこもった時期の1年半は、バーナデット・ロバーツ夫人の本の内容と同じ時期になります。
それとは中身が別の、中途半端な働きながらの引きこもりだった時期は、たぶん、その後になるかな。

ただ、そういうふうに、善悪どちらが勝っていても、おかしくなってしまう前は、ちゃんと、
未来への夢というのか、やりたい事や、野心も、行動力もあったのです。(本当に若い頃ね)
決して、気の弱い、無気力な人間でも、自己嫌悪するような傾向も、なかったのです。
だから、自分のこの体質は、一層不思議な気がします。

では、流行っていた新興宗教とか、精神世界に興味本位であれ、ハマったせいだったのか
といえば、それ以前から、古い家の霊的な現象と自分の感じ方に、ちょっと思うところがあって
……だから、結局は、自分の持って生まれた体質と、霊現象の起きる環境の生み出したもの
だったと思うしかない。
さらに、遺伝的要素として加えたいのは、現実主義の今は亡き父親は、実際は、霊媒体質
だったと私は見ているという事です。
これについては、まだ、確定的に結論を出してはいませんが。

私は、行動力があったし、経済的には苦労した事がなく、容姿もまあ悩む必要なくて、
オベンキョーはできなかったけれど、馬鹿ではなく、要するに普通だった。
ところが、好きな事が選べたはずの私ですが、進路の問題では、躓(つまづ)きました。
今日までの年月に渡って、予想した以上に苦しむ事になりました。

その事については、ここでは省きますが、霊媒体質は、いったん苦しみ出すと、将来に渡って
その影響は、人生に傷を作り出してゆく事になります。
進路問題で、親を恨んでいた事が、自覚されてくるにつれ、本当に、悔しく、親に責任を
取ってもらいたいと願うようになりました。
だけれども、真の問題は、実は、そこにあったのではありませんでした。
(それも省きます)

現在、霊的な問題に苦しんでいる皆さま、どうか、明るさを失わず、
どんなに苦痛であろうと、生き抜く覚悟を決めていただきたいと思います。

かつての私は、鏡を見て、悲しさと悔しさで歪む顔面に向かって、
『なぜ、私だけが、こんなに苦しいのだろう』
と、涙を流しながら、無理に笑うようにしていました。みじめでした。
しかし、私は、苦悩からの解放を、そういったところから始めたのでした。



つづく