霊的雑感(というか、告白も含む(2)………霊媒体質者は悪霊と戦う、トーゼン、ワタシは勝つ☆

前記事のつづきである。

ですます調は、メンドクサイので、いつもの書き方にする。

さて、経済的にも容姿にも悩みなし、行動力もあった、おつむは普通。そして、他人が
認めてくれる才能もあったと思う。これは、自分でなく、善霊と多くの他者の勧めなどで
自覚してきたものだ。

こうした、自信につながり、前向きになれる要素がいくつもあるのに、このような
苦しみにまみれた人生を、なぜ、私は生きなければならなかったのだろうか。
本当に不思議なのだが、正直、『どうにもできなかった』としか言えない。
頭ではわかっていたような気がする。しかし、実際に行動すればしたで、今度は、
身体が動かなくなってしまうのだった。

こういった、頭ではどうすればいいかわかっていても、実際の行動に移せないという状態──
この傾向は、私だけでなく、私の親にもあった。
私が過去の、私に対しての、親の言動において、育て方において振り返っていると、
親もまた、家族の為に行動しようとしていた事を、とあれこれ調べていながら、
行動に起こせなかった重要な出来事があった。
親は『どうにもできなかった』と何度も言ったが、『それは間違っている』と私が、
親を責め続けてきた問題である。
未だ、解答は出ていない。

こういった努力や意志の力を持ってしても、『どうにもならない』事象を、私は、
完全に『カルマ』だなあ、と認めるしかないと思った。

さて、ある程度、思考力を悪霊に支配され、負けて、打ちひしがれている自分自身を
起き上がらせるために、悪霊に負けない為に、行っていたのは読書だった。
当時読んだ本の中に、以下のような内容があり、なるほど、と思った。
『悪霊にやられやすい人は、親を恨んで、憎んで、怒りを抑えている……』

私は、自分の中にある、親への感情をチェックしてみた。
そして、曖昧で混沌とした不安定な内界で、親に対して、多くの事を我慢していた
自分の心に行き当たった。その時は、不満と怒りが全身を覆った。
混沌とした心の状態のまま、私は親を責めはじめた。
親が間違った対応をしたから、私が親を恨むようになったのだ、と思った。
そこに黒々とした悪魔が襲いかかってきたのだ、と。

私は、『自分のこの感覚は正しい』と思った。
だから、はっきりと、親に向かって、悪霊に侵された思考力のない脳の間から、
親への批判を明確に述べていったのだった。
何度も繰り返された。それによって、私の表面的な性格は、より激しくなった。
というのも、親がどんなひどい事を私にしたのか、筋道立てて整理されていた訳
ではなかったから。

ともあれ、内面に溜め込んだ怒りを口に出すようになって、ようやく、私は、自分が、
苦しんでいる状態と向き合えたように思う。
親への批判を、やらないよりはやったほうが、正常さには近付いたように思う。

ただ、弊害はあった。
それもここでは省くが、結局は、キチガ○になりかけていた私が、誰かを傷付けるよりは、
親への不満を探っていたほうが、まだマシであった、と言うしかない。

そのあたりは、私は、冷静に考え、工夫していたと思う。
悪霊は、私から思考力を奪おうとしていた事はわかっていた。

念の為、私が、内的には悪霊の支配にグルグル巻きになって、押しつぶされていても、
決して狂ってはいなかった事だけは言っておきたい。
自分としては、『狂っているなあ』と思っていたが(苦笑)他人とは、普通に接する事ができていた。
というのは、私が、内的な悪魔と戦っている自覚があったからである。

私が悩んでいる事を知った上で、手を差し伸べてくる人間に、何もできない事はわかっていた。
私の相手にしているモノが、普通の人々からは、正しく判断などできやしない事も、わかっていた。

私は弱っていたが、戦っていたのだ。
もし、当時の私に病名を付けるとしたら、なんなんだろうか。
自分で勉強をして、本も読んで、心は病んでいないと思っていた。

完全に霊媒体質による状況だとは、すでに、それ以前に、カウンセリングに2年間通っていたので
確信を持っていた。心理療法などは気休めに過ぎず、かと言って、何もしないで、諦めてしまったら、

霊媒体質者の悪霊憑依現象による精神的な病は、間違いなく悪化する。
まさに、霊媒体質者が邪悪な霊に憑依されることによって起きる、様々な現象や苦悩は、
身体の病気と限りなく似ているように思う。
対処が正しければ、治癒は不可能ではないと思うからだ。

だが、悪霊はしつこい。
私の場合、疲労感がひどくて、気分転換に、ある友達と会って話していると、気持ち悪くなり、
体調がおかしくなった事があった。そのような事は珍しい事だったが、その友達の現在を見ていると、
過去に、『あんなに言ったのに…』という感想を持ったほど、奇妙な因業を背後に見た事のある人
なのだった。
若い時に奇妙な印象を感じた人々は、かなり後になって、さもありなん、という様子に
なっている事は残念な気がするが、どうにもできなくて、複雑な思いである。

今なら、曇った人間と出会っても、鬱になった自分を立て直せるが、当時はダメだった。
今は、本能的に避ける。しかし、どこに、おかしな人が隠れているかがわからない時代でもある。

さて、その曇った友達と会って以降は、面白いくらい、段階的に、私は暗さを溜め込んでいった。
決してその友達のせいではないが、悪魔の成した罠であったことは、今なら良くわかる。

当時は、努力の成果が出ており闇から這い上がろうともがいていた私には、たぶんわずかだが、
光が差し込んだ時期だと思う。有頂天になっていた訳ではない。それなりに慎重だった。
だが、あまりにも苦痛が大きくて、早く解放されたくなったのだろうか。もう覚えていないけれど。

あと一歩の時期の人間の弱さを、悪魔は心得ていて、そこを突いてくる。
例えば、自分の失敗から何かを学んだとして、『これからは失敗しないぞ。頑張ろう』と人間が
自分に宣言する。これは前向きで、正しい事なのだが、この前向きな時期が、悪魔は大好物なのだ。
実は、この頑張ろうという決意は、執着につながる意識なのだ。
悪魔は、そこに、再び闇に引き込む為の罠を張る。
つまり、前向きな心にさえ、悪魔は憑くのである。

私は、見事にに引っかかってしまった。それ以後も、数回、同じパターンの罠に、
馬鹿な私は、繰り返し引っかかったので、さすがに悪魔のやり口には詳しくなった。

悪魔の罠は、人間関係を用いて行われる。まさかと思うかもしれないが、本当だ。
そういう意味では、悪魔にコロッと騙されやすい人間などは、信用ならない生き物ではある。

たとえば、「スピリチュアル」──

スピリチュアルの界隈の胡散臭さは、人間がどんなに他者と理解し合う事が困難であるか
というをわかりきった上でこの世に生まれてくるか、という事実を、根本的に認識して
いなくては、霊的な世界など語れるはずがないのだという真実を、大前提に置いている
人々の少なさで、感じ取る事ができる。

生活以前、社会以前の世界がそこにあるのであって、人生を学ぶ事の入り口もゴールも、
一貫して、人間に生まれた哀しさや虚しさを語りあえる感性の持ち主でなしに、たとえ、
カジュアルななんちゃって宗教であるスピリチュアル活動など、心の清浄さを保つ事など
出来はしないのである。

人間の本質に触れる事を放棄して、あるいは、いったん脇に置いて、霊能力や、未知の力に
崇敬の念を抱いても、マヤカシでしかない。


若い頃の話に戻るが、そうした罠に簡単に引っかかって、再び、暗い闇に打ちのめされた気分で
いた私は、あれこれあがいていたし、行動もしたが、すべて上滑り、空回りに終わった。だが、
それも必要な出来事だったと思っている。決して、悪く受けとめてはいない。無駄ではないのだ
と思っている。


悪霊にやられている人々で、人によって、表に出る言動や症状は様々だと思うが、
私の場合は、常に、『大きな自分』がいた。
だから、そういった存在が、精神の混乱の交通整理をやってくれていた。
勿論、私の常識的な一面があったから、バランスは保たれていたのだが。

私は、確かに、10代の時から霊媒体質者の自覚はあったが、かなり、現実的な人間でもあり、
専門学校を一年でやめて、すぐ就職した。いわゆるOLをやっていた。営業事務である。
東証2部上場のメーカーだった。
つまり、正常な(笑)普通の娘さんとして、生きていた年月もあった訳だ。
当時は、お金と、考える時間が欲しかったのと、一般社会を知っておく必要があると考えていた。
すんごい、真っ当で、前向きで、一途で、ひたむきだった。

とにかく、悪霊憑きになってからであっても、『大きな自分』が常にいたのは、こうして
自分の将来を真面目に思案していたからであり、学ぶ心や好奇心を失わなかったからだと思う。

私はこの『大きな自分』を、心理学的に「エス」や「イド」とは呼ばずに、
天使とか、聖霊とか善霊と呼んでいた。
(これらの言葉を記事中に使う時の意味とは微妙に違うかもしれない)

まあ、天使、聖霊と呼んでいたとしても、それも私の一部だから、精神的に分裂していたのは
事実ではあったと思う。悪霊に支配されていた自覚もあった。負けているという自覚だ。

この、最も苦しい時──みじめで、打ちひしがれて、心が詰まっていて、何の喜びも楽しさも
感じられない時、私は、ひたすら辛さに耐えていた。
前述した曇った友達は1人か2人で、ほとんどは、まともな友達だったから、会う為に出かけると、
一時的に苦しみや孤独から解放された。
頭痛などは続いていた時もあったが、理解されないとしても、気を許せる友達との会話は、
本当に癒された。




つづく