ワタシが、たぶん…まあ…唯一『間違いナイッ!』と、認める霊能者かな……高橋信次さんのコトを書いた本

高橋信次さんの事を知る人が書いた、

●誰も書かなかった高橋信次 
菅原 秀著    成甲書房刊

という本が、一年近く前に再販されていた。
ワタシには、ちょっと物足りない本だった、だぉ( ^ω^ )

ワタシにとっては、実際、宗教団体とは、遊び半分で行ってた時期が多いのと、
高橋信次さんを知らなかったら、これほどの霊媒体質にならなかったんじゃないか、
という思いと、
でも、他の教団だったら、今頃どーなってたかわからんな、とか、ホッとしたのと、
問題があったなという思いと、もう、良いのか良くないのか、
ゴチャゴチャ、思いが混ざっている。

まあ、

複雑っすね~

宗教団体については、良い面もあれば、悪い面もあると思うので、言葉で、
高橋信次さんを語るのはなかなかに難しい事だと思う。

高橋信次さんの死後、
元々の教団にいた人々が、師の思いを受け継いで各々集団つくっていった分派系と、
本人と何の関わりもない人々がつくった亜流教団と、
全部で、約16~30くらいの高橋信次に影響を受けた団体が生まれたという。

亜流教団が偽物なのはわかっていたが、オリジナルな教団のほうも、後継者が逝っちゃった感じで、
周囲を振り回していたので、まともな人なら、去って当然だった。
面白かったといえば、面白かったが。
今は、全く違う人だ。しかし、当時の佳子さんは派手だった。
だけど、印象に残っているのは、目だ。普通の目ではなかった。
独特の今でいうオーラがあった。若い子の目ではないのだ。
あの目にやられてしまったSF作家の気持ちもわからなくはないかも。

高橋信次さんの亡くなる前後に、様々なゴタゴタがあったらしいけれど。
単純にサタンの仕業だろう。(サタンがいるという前提は、かなりオカシイけど、ご容赦を)
信者の感情を乱して、内部から亀裂が生まれ、次第に崩壊してゆくのを狙うのだ。

そういうことをやってのける地獄の帝王が、現実にいる事を、スピリチュアル・ブームが、
啓蒙してくれる助けになってくれたという面では、スピ・ブームはありがたいっす。
邪魔してる部分も大きいかもだが…(゚∀゚)ヒャハハ

世界の闇は、サタン(ルシファー)信仰で出来ているという事実は、なんとなく知ってはいたが、
信仰は自由でも、他の人々に酷い事をすることで、サタンから力を得るという欲がらみの
サタン信仰の本当の姿。
それをやっている人々は、本当にそういった事で力を得られると信じているし、
やらされている人々は、脅迫されている。


さて。

高橋信次さんについては、ワタシは本の読者であり、宗教の信者ではない。
『信次教』の信者かなぁ、
というよりは、やっぱり、本によって救われた1人ではないだろうかと。(『悪霊』)

何度も読み込んでゆくうち、反省の大切さに気付いたというか、
読んでも、普通にエンターテインメントとして、読む人もいると思う。
他にもあの世について書かれた本はあるのに、『悪霊』には、題名はスゴイけど、
人生に必要な姿勢の全てに近い事が書かれていた。
彼の本は、心にググッと突き刺さった。
答えの出ない悩みを抱え込んでいた時期だ。


イケイケドンドンでやってきた長のいる家族に、哀れにも、ワタシは、
『自分の弱さを認めずに、自分を強いと信じて、手柄を立てなさい』と、
外界に裸で放り出されたのだ。(比喩である)
彼らは、他人サマが、自分の身内に、様々な知恵や知識を教えてくれると思った事だろう。

だが、私は、好きな事も出来ず、誰にもわかってもらえず、途方に暮れていた。
恋どころではなく、自分の内面に危機を迎えていた。
私のやりたい事は、身内からは否定されていた。
だから、思想系や宗教系に、関心が向かったのだろうか。

(いろいろあった数十年を割愛する)

そして、見えない世界については、かなり知ることになった。
それにしても、未だに、ワタシはまだまだだ。
自分の弱さについては、まだ、無知なところがあるからだ。

その弱さを知れば、
優しさを超える強い愛で、
目の前に立ちはだかった壁を乗り越える知恵や勇気に、
繋がることが出来るのだが……。


はあーーーっ(タメイキ)



私は、今までにも、新興宗教団体については、かなり書いてきた。

内容は、主に、
・盲信、狂信と優越意識、選民意識とはセットになっている事
・盲信者が、教祖をカリスマとして賛美し、思念が固定化し、自分の信じる世界観と
異なるモノは全て誤っている、と断定的になる傾向について
・教祖をカリスマと慕い、今以上の自分へと変わる成長を止めてしまう思考停止型の傾向について
新興宗教団体に入る人々の様々な動機、目的について、現世利益を求める人のあり方は
間違っているのではないかという思い
・ワタシ個人の意見

などだった。

これらの考えは、ワタシの実感がモトになっている。
基本的に自分の意見を調理する時、コリン・ウィルソンさんの宗教観が入る時がある。
あと、霊能者と占い師の区別についてだが、
区別を付けていたり、イッショクタに語っていたりと様々。


さて。

盲信者・狂信者には、ハードなタイプもあれば、ソフトなタイプもあるのだが、
ぶっちゃけ、新興宗教の盲信者・狂信者で、まず思い浮かぶのは、前者のハードなタイプだ。

頭が逝っちゃってるとしか思えない盲信者は、ホントにどこの新興宗教にもいて、
ドグマにやられている自分に気付いていない。

どう見ても問題のあるタイプなのに、所属が長かったり、幹部と知り合いだったりすると、
特殊な立ち位置をキープしていたりする。
誰もその人のミョーな部分について、指摘しない。あたりさわりなく接する。
まっとうな教団なら、問題はいずれ明かりに照らされるが、
そうでない所は、内部が腐りはじめている証になると思う。

当時ワタシが来るのを見つけると、いつもお説教するかなり年上の男の人がいた。
全く、縁もゆかりもない人で、ドアを開けると、その人がワタシを見つけると、お説教。
今なら、逆に、その人に教えてあげられる程度の知恵はあるワタシ。
苦労したんだなぁ、ワタシ…(遠い目)

その人も霊的に敏感だったのだと思われる。
だから、私を狙う背後にいる邪悪霊に活気づいたんだろう。今ならわかる。
私を放っておけなかったのだと思う。彼には、何かが見えていたんだろうな。

こういうタイプは、攻撃的なハード系ハミ出し者。
やがて、その教団からは、当然でしょうが、離れたようで。
今から見てみれば、私も同じタイプだったのかも( ;∀;)

当時は、その人の事を周囲に聞いたら、『行をやっていた』『霊感のある人だ』
『厳しい考え方をする人』『ああ、あの変わってる人』……だって。
ベストアンサーはどれかな。(笑)

なんで、よりにもよって、ターゲットがワタシだったんだろうか。
もちろん、個人的な会話はした事ないし。オカシイでしょ?

普段なら、絶対そんなミョーな人には会う事がないのに、宗教団体という場所は、
目をつけられ、受け身で相手をしていると、急に怒り出すような人間がいたりする。
行き場のない人間の掃き溜めみたいな所だと思った事もある。
講師は、優れた人もいたと思う。
なんか、投げやりに書いているが(笑)
あーいう所は、本当にいろんな人間がいるんですよっ☆

今では、そんな身勝手な行者崩れの会員はいないと思うが、高橋信次さんの頃は、
自由な空気があった反面、この本にあるように、様々な宗教団体から流れて来た
クセのある人が、どこにもいたようだ。


高橋信次さんは、道に迷ってしまって苦しむ多くの人々を救った。
本当の意味で、「救った」という意味で言っている。
ワタシは『救われた』──
これは、数十年後の今でこそ言えるセリフなのだが。


悟りにお金はいらないという事を高橋信次さんは言っていたと思う。
心が変わる事で全てが変わると、高橋信次さんは言ったと思う。
教祖を拝まず、拝む物を作らず、教祖の説く『法』に生きなさいと言ったと思う。

自分を崇拝しろなどと、一言も言っていない。
『法』に生きよ、と言っていたのである。

当時、色んなゴタゴタがあったらしいが、あれは、前述したように、
悪魔が、内部を混乱させる為に、やっていたのだと思う。
高橋信次さんは、講演で自分にサタンが矢を射って来た話をした事があるが、
見方を変えると、エル・ランティと悟る事がわかっていたサタンの足掻きだと
言えるのではないか。
サタンが矢を射たり、内部を混乱させるという状況そのものが、
地獄世界がガタガタと、悪あがきをしていたという事だろう。

あの世的に、何が起きていたのかを、霊視とか出来る人は、当時居なかったのだろうか。
波動は? 邪悪な波動がわからなかったのだろうか。
なぜ、信頼関係が壊れたのだろうか。

こういう事は、時間が経って冷静になると、『なーんだ。バッカみたい』と
お互い、笑える日も来て、「雨降って地固まる」となるのだが。

問題は、三橋さんが十代の妻に暴力振るった事件のように、外部に、
こういった出来事が、大げさに伝わったり、違った内容で伝わる事だ。

どうでもよいと思っていたワタシさえ、信次さんを一瞬、軽く見てしまったいろんな噂……。
噂とか先入観からは、自由でいなければならない。
これも高橋信次さんの教えだ。


後継者問題のゴタゴタ、色々な事件が続き、外界で、輩達がやりたい放題始める事を、
高橋信次さんが、生前予知していたというのをネットで読んだ事がある。
それが本当なら、彼に、すでに見抜かれていたという事。

関係者や、当時を知る人が黙っているのは、実感として、何かがわかっていたからだろう。
当時は、まだ、講師の方が、新米教祖より、この世的には、バランスが良く、優れていたんだもの。

私が天使の波動を理解したのは、この頃よりかなり後で、しかしながら、
それをを知っても、性格の癖は、数十年治らなかった。
ようやく、人生のワナが、自分のウチなる声と思い込んだ悪魔のソソノカシから
始まってるんだなーと、やっと心から気付いた時は、
人生もあとどれだけ生きられるだろう、て頃になってるし。


さて。

高橋信次さんの本を熟読していた頃は、本人に興味はなかったのだけれど。
新興宗教なんて、別世界だったし。

前述したお説教男のように、新興宗教というのは、良くも悪くも、普通の社会では
出会えない人と出会ってしまう場所であった。

だからこそ、人がそこに所属する動機を間違えると、人生の方向性が
ズレてゆく事もあるのではないか。
まっとうな場であっても、個人の考え方によっては、厳しい場所になるかもしれない。
厄介な問題を抱え込まされる事にもなるのも、宗教団体。
いろんな人がいるから。


カリスマ信仰というのは、前世で教祖と縁のある人々が、奇跡的に過去世を思い出して、
教祖を、自分より上だと認めて、今世にその上下関係を持ち込んだ特殊な精神状態なら、
納得できるが、それ以外は、どうなんだろうと考えてしまう。

もしこの世的に、何も知らない人間が、教団に入り、そこの信者から、
『教祖をカリスマとして崇敬しなさい』と言われたなら、それは、異常な事だと言える。
だが、信者は、そうは思わない。
そういうウチ向きなカルト信者が、最近は多いのではないか、と感じる。
そういう自分をおかしいと思わないのだ。
そういった人々に、違和感を覚えるのだが、政治家にもそういえば、いたような…

昔、ワタシが、ある新興宗教団体で、最も違和感を覚えたのは、
洞察力もなく、教祖に依存して生きているような、
ワタシから見て、思考が終わっているような人々だった。
彼らと話していると、かなり退屈で、時間の無駄だと感じたものだ。

今はスピリチュアル・ブームで、小さな教祖と教団のようなモノが溢れかえり、
神秘のヴェールを取り払った「霊媒」行為が、あちこちで、その物珍しさを
ビジネスにしている。

スピリチュアル宗教ビジネスの危険度については、何度も何度も書いてきて、今後も、
整理して書きたいと思っているが、とりあえず、スピリチュアル系ブームのお陰で、
宗教的なモノは、一般的な場所まで降りてきつつあるので、少しづつ、古い新興宗教
信仰のあり方も変わってきている事だろう。


ネットで情報を得る時代なので、宗教団体の変貌の仕方も、
どんな情報を流すかで違ってくるとも言えるが、
まずは期待できるのが、新興宗教の役割の本質が明らかになってきて、
確かなものがジワジワと真実を明らかにしはじめたりする事だ。

そして、これまでは、ゴマカシが効いた嘘八百が、もう通らなくなってしまう
というような事だ。これらは確実に起きるだろう。

スピリチュアル系にも言える事だが、宗教だけは、なぜか、これだけ、世間に
デタラメな宗教が蔓延していても、大衆が疑問に思わないのは何故なのだろう。
いや、信者でも、オカシイとは思っている人も、生活と繋がっているので、
支障がなければ、まあいいか、と思ってるとか?


スピリチュアルも宗教も、本来は、困った人や、悩んでる人や、苦しんでいる人を
救う為にあるはずである。
教祖の役割は、苦しみの奴隷状態になっている人々の心を解放する事が、必然としてある。

こういった、人を助ける為の霊能力だという原点を、認識している人しか
残らないのではないか。
完璧に、善の霊に導かれている人が、どれだけいるんだか、ギモン。
それに、神からもらった力を、金儲けで目が曇って、使わないでね~


こんな、形ばっかり重視して、心も売り物として利用し、効率ばかり追いかけ、
拝金主義の、真心を動機としていない社会。
こんな世界で、悩んでる人が救われると思えるのだろうか。
むしろ、潰される。だから、自死者が増える。
荒れるだけ、荒れたら、次は、内省の時期だ。

心あるものが潰されやすい状況の時代には、悟った人々は、たぶん表には出て来ないと思う。
真実がわからなくなっている時代は、大衆が真実を求めるまでは、
たぶん、真実は隠されてしまう。


さて、最後に。

新興宗教にハマっていた当時(当時、盲信はしていない)は、多くの盲信者・狂信者を
見た。
教義本や、教祖の著作物のみで、世界や歴史までも把握しているかのように語る人々がいた。
つまんねえな、と思いつつも、逆にホッとしたものだ。
彼らは、盲信者・狂信者のソフトなタイプ。

彼らはこう言うのだった。
『先生についていけば大丈夫よ』
『先生は本物だから』
『ここの教えは完璧。素晴らしいわ』
これは、他の教団でも同じで、たいていは、おばさん達、おばあさん達だった。
そういった方々が、色んな新興宗教団体を支えていたのかもしれない。

自分がそういう年齢になって、しかも体質がアレで、宗教など要らないという真実を
知ってしまったワタシ。
でも、今でも、昔の友達は新興宗教にいる。
教祖サマを信じている。
テキトーな人もいるけれど(笑)
教祖を信じて気持ちをいても、委ねていない、自分というものがある人もいる。
それが、たぶん普通。
ただ、そういう人達は、時々教祖を疑って、また信じ直す、それを繰り返すのだろう。

私には、永遠に理解出来ない。
なぜ、自分のソトにいる物質の人間を、唯一神のように、崇めなければならないのだろうか。
それに、信じる人にとってそれが真実でも、他の人にはそうじゃない。
これは常識である。
それすら、わかってないお馬鹿さんが増えた。

なのに、新興宗教団体という「場所」は、
外からやって来た人々に、
教祖をカリスマとして崇敬せよと、
優しく、穏やかに強制しているとしか思えない。


思うのだが…。

出会った宗教や教祖サマのみが真実だと思い込んだり、
頭で教義の丸覚えをするだけではダメだし、
今世は教祖サマに助けてもらおう、というような太平楽な方々にしても、
厳密にはですが、考えとして、おかしいと思うのだ。


ワタシは、昔から、解答が欲しかった。
もう、今は出てしまったが。


3.11から7年、いろんな不思議な事が起き、目覚めさせられ、
結局、今、高橋信次に戻るとは、皮肉……

でも、彼は、ワタシにとっては、内的世界の栄養となって、骨となって骨格となった人物。
このワタシが、唯一間違いない、と認める霊能者は、たぶん、この人だけだなあ……
……まぁ……うん。


誰も書かなかった高橋信次 巨星の実像
読んだ方々のレビューが秀逸。

※なんか問い合わせあったんで、書いておくと、批判的なレビューも読んで欲しくて、「秀逸」
と書いたというのが本音。ワタシは、その後の宗教団体には、批判的な目を持っていて…

他に、この本、元生長の家の幹部が、教団に入った経過とか興味深いし、
当時の後継者の娘さんのアレな行動については、ワタシの言いたい事を、
結構、書いてくれているようで、スカッとする。
後継者の一時期は「思春期ヒステリー」?………ホントにその通りかも。(ぼそ)
ミカエルブームの悪影響は、教団の甘えや客観性の無さを生んだ点にあると思うが、
今に始まった事ではないんじゃないかも。
結局は、求めない人にとっては、何もないのと同じ。救いも、成長も、意思がなければ、意味はない。
だから、偽物教団が、図々しく出来たのだろう。挑発してただけだろうけれど。
でも、ゴタゴタがあった後、娘さんが後継者として、立たなければならなくなった訳だが、
他の人々が、嘆いていただけの時期に、彼女だけが、これからが大変になると、真剣な表情だったとか。





(じっくりと書いたが、読む人には、長くて、わかりにくくて、ゴメンね🙇♂)