天使との出会い……… 必然的な、ウチなる、湧き上がるものとしての、あの世からの呼び掛けが、人生の意味についての思考を促す

そろそろ、ブログを引っ越しさせねばならない時期になった。
それで、2006年、11月24日から、13年続いたこのYahoo!ブログについて、Yahoo!とのお別れに寄せて、つらつら浮かんだ事を書いておきたい。
本当に、Yahoo!で、13年間、お世話になった。
いつかはこんな別れの時が来ると、心のどこかでは思っていたのだが、いざとなると、寂しいもんすね。
まだ、決定してはいないけど、ライブドアのブログを、試しているが、それほど使いにくくもないね。
Yahoo!は簡単だったが、機能が、増えたり、消えたり、不安定だったなあ。


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ブログでは、コメント欄は、基本的に閉じていた。
はじめからそうだった訳ではないが、結果的に、基本的にコメント欄は設けなくなった。
ブログは、自分の鬱憤を吐き出す場にしたかった。だから、どう思われようと構わなかったけれど、若干名でもいいから読んで欲しいと思っていたから、わかりやすくは書くようにしてきた。
気楽に好きな事を書いてゆきたかったから、気の合わない人に読まれて、トンチンカンなコメントもらうのも、なんかイヤなもんである。気が乗らないのにリコメしなきゃならない。
はじめは、簡単に、コメントに返事は出来ないなと思いながら、オズオズとコメント欄を開いていた。

当時は、いろんな状況の人々が、ブログを始めていた。まだ、ブログは、使い方が思案されていた時期だったのだろう。何を求めているかによって、ブログのスタイルや内容が決まってくるのだと思うが、私の場合は、日常で、言葉に出来ない色々な内的な事を書きたかった。
ある意味(どうでもいい意味でだが)このブログは、私にとって、聖域であったんである。(笑)
ゆえに、基本は、ヒトリゴト、モノローグ、まさにツブヤキであった。

『不思議?日記』というタイトルにしたのは、自分の人生が、不思議な霊的な出会いと、体験があって、それが、私の人生を支配してきたからだ。
とくに、天使との出会いは、その時の波動が、最高の気分に満たされた、バランスの良いものであっただけではなく、道を示してくれてもいたので、現実面において重要な意味を持っていた。
とにかく、外にある尺度ではない、ウチ側の尺度を信じざるを得ない、幸福感を与えてくれた天使との出会いは、誰か人間によってもたらされたものではなく、私のウチ側から、必然的な理由で起きたものだった。
私にとっては、16歳で暗い淵を覗き込まされて以降、その天使との出会いまでは、「あるひとつの物語」であり、第一段階のピークまでの不思議な体験だった。
奇跡と呼ぶには、あまりにも、日常とガッチリ結びついており、人生で、意味のある体験としては、他人に説明しづらい、やっぱり不思議な出来事なのだった。

まさに今現在、霊的な事は起きていない。今は、地震耳(気象、火山活動も含む)だけだ。
3.11以降、あれほど、目まぐるしく、毎日のように、映像や、幻影や、霊媒現象などの混乱と困惑の不思議現象が、毎日起きていたというのに。

ホンモノとニセモノを見分ける尺度は、未だ、曖昧なままにされているけれど、本物の条件は、人間のウチ側から、湧き上がる、必然から生じる日常なのであるからして。
まとめてみると、霊的な存在のホンモノである証明は、

・ウチ側からの必然として、湧き上がったものである、
・霊が語る言葉に、現実社会的なヒエラルキーがない、
・誰にでも理解しやすい、理解出来るものである、
・飾りを用いない(石などのパワーグッズは不要)
・神への感謝の念から生まれる思いが原点にある、
・心を裸に出来る(それくらいに安らいだ心境である)、
ほか………

こういう天使との出会いは、やがて、年月とともに、記憶が薄れていった。
むしろ、不思議な体験をしたゆえに、その後の出会いも、変化に富んだものとなった。
そして、段々、不思議な出会いは、その意味を見出すべき人生の為にあったのに、
私という人間は、次第に、そこから、遠ざかっていってしまったのであった………

それから、何年、何十年経過して──

父がこの世を去った。
忘れられないのは、父親が病気になった事を知らせたのは、やはり、天使っぽい系統の小さな霊体が、目線より少し上で、クルクル、輪を描くように踊って、『ありがと。ありがと。ありがと……』と、言い続けていた経験だ。
天使をみると、ロクなことがない、とも言える訳で。

私は、父親がこの世を去って以降、気持ちの微妙な不安定さを引き出されたように思う。
これは、誰もが、通る道だそうだ。
だが、私の場合は、父の人生を通して、張り付いていた宿命というか、呪いというか、そいつの正体を見極めようとしていたが、結局は、父を救う能力がなかったせいで、彼に、人生のカラクリを教えて、陥ってはいけない心情について、全般を、理解してもらうことは出来なかった。

父が亡くなって、私は、父を救える能力を身に付けた。
だから、結局は、そういう事になっていたのだろう。
その能力は、使い方を間違ってはならないというところだろう。

父は、自ら、自分を客観的に見ることが出来ない世界に巻き取られていた。
自らである。
自由意志が与えられているのだから、人間個人の意思が向いた方向、選んだ生き方を、他人が変える事など許されない。
たとえ、悪魔的な存在に、絡まれかけていたとしても。


父がそんなような状態で亡くなって、私の心は、落ち着く先がないままだった。
悔いはないが、闇の波動が渦巻く中、カルマとともに、あの世に旅立った父親の魂は、救われているようで、彼は、決して、納得はしていないだろう。

父の通夜の日の午前中、父の霊体が、仏壇の横に置かれた座布団に座るのを見た。
花屋から帰り、母とお茶を飲んでいる時のことだった。父の霊体は、浴衣のようなものを着ていた。そして父の霊体は、仏壇の方向に視線をやりながら、座布団の上に、自身の遺体を正面にした形で、座った。
だから地獄には落ちなかっただろうが、かといって、天国にストレートに行けたとも思えないんだが。

その後、葬儀の時、見た黒い球体は、何だったんだろうという思いとともに、闇の世界の存在が、確かに、私の育った家には執拗に張り付いていた事を、実感として感じていた。
(祖父の時も、球体はやってきたのだ)

以降、父親のことをうまく表現出来ないもどかしさと、ポッカリと胸に穴が空いたような空しさを感じていた。
これは、知人の多くがそうで、3年~8年くらいすると、癒えたという人々が多かった。

ブログを始めたのは、父が亡くなって、1年くらいしてからだったように思う。