「ラマン」のラストを飾るショパンのメロディ

書庫の整理のために再読していて、
「映画」より「ダンディズム」の項目に相応しいと考え、移動しました。
「少女のダンディズム」ですね・・・・。
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昨日、買い物帰りにご近所を通りがかって聴こえてきたショパン

「ラマン」で主人公が、インドシナからフランスに帰る船上で聴き、
初めて泣いた、あの曲である。
映画をみた人なら、少女の凝縮した感情を覚えているだろう。

「あれは恋だったのだ」と少女は、全てが終わってから初めて知る。
愛欲のさなかにいた時は、自分の感情を殺し、涙さえ押し込んで、
すさんだ暮らしを冷徹に見つめていた時期でもあった。
ただれた生活を送る憎しみに満ちた兄、愛おしい二番目の優しすぎる兄、
夫に先立たれ、詐欺にあい、生きる気力を失って、疲れ果てた教師の母。

お金のために中国人の愛人をやっていたのかという母親の質問に、
少女は「そうよ」と淡々と答えた。
だが本当のところはどうだったのか。
それはこのショパンの音楽だけが知っているのだろう。


中国人はそれをするためにのみ生まれてきたような、セックスのうまい男だった。

「私はツイてる!」

即物的にそう万歳してしまうような年頃の感性は、冷静で残酷だ。
だが、自分自身にさえ残酷で冷静なのだ。
さえざえとした若木のようなしなやかさを隠し持って、自ら傷つく、
大人を永遠に魅了する、無垢なティーンたち。

曲名を忘れてしまったが(あとで調べる)
言葉はいらない。


結婚して子持ちになった中国人は、作家になって、すでに結婚、出産、離婚
という人生の荒波を経験したかつての少女に、突然の電話をした。
懐かしく近況を語り合ったあと、しばらくの沈黙の果てに彼は言う。

「今でもあなたを愛している」と。


(この映画はマルグリット・デュラスの自伝的要素の濃い小説の映画化である)