想像「ダウンサイズした人々の劣等感がプライドの化け物になる時代」

よくネットの議論の果てに、相手の職業や私生活を聞きたがる人が
いるけれど、文脈と関係ないことを尋ねることの無意味さに
気付けないのだろうかと思う。
真の興味からでなく、議論に負けて、悔しまぎれに個人情報を聞きたがる
ケースである。
ニートでコンビニ勤めなんではないか?」
「そんな理想論で、どうやって食べてゆくのだ?」
いわく、低学歴で、無職で、社会の末端で甘えた意見をこねくりまわす
引きこもりかなにかと決めつけて、いわゆるレッテル貼りをして、
上の目線から見下し、優位を保とうという敗者の最後の手段である。
議論のみで勝てないとなると、なんでも持ち出す人間たちは、負けを
真から認めることができないのだ。

そういう人々の中には、自分を尊大に見せたい、尊敬されたい、
他人に自分を認めさせたいというような、少し前なら噴飯ものの、
マンガの極端なキャラのような人物が実際に存在する。
苦笑してしまうことがある。

例えば、職業をダウンサイズしなくては生きられなくなった人々が、
夢を二度と見られなくなり、生活が苦しくなり、過去の栄光に執着し、
自分を特別視させるために、ネット上ではせめて自尊心を保とうと、
尊敬されるよう、優れて見えるよう、必死に努力をしているような図が
浮かんだりする。(根っこに、壮絶な劣等感が見える)

例えばの話である。一つの想像の例だけど、
現実には、いろんなケースがあるんだろうな。

ある程度の見識の高さが、大衆に価値を持って迎えられていた昔と違い、
もはや、今や情報はストックされて、いつでもネットで検索で引き出せる時代。
その弊害のひとつを、首をかしげるような人々の出現に見る思いだ。


けれどもーー自分の能力や才能を、人間性をもって生かそうとしていた心ある
人たちは、こうした過渡的な時代に、深刻な感情や思いを抱いているに違いない。