中島義道 「<対話>のない社会」から 思いやりについての引用
思いやりについては、以前から考えてみたいテーマだったので、
ちょっとだけ、引用して考えてみたいなと。
ちょっとだけ、引用して考えてみたいなと。
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思いやりは「自己本意」から出てきたソシオグラマー(行動文法)である。
「自分が他人からいやなことをされたくないから、他人にもそのいやがることをしない」
のであって、思いやりは自己利益の追求という原則に矛盾しないどころか、
利己主義の変形なのである。
すべては「自分の利益本意」という原則から説明できることであって、
日本人の思いやりは無条件に他人を尊重することとは違う。
(日本人の行動文法(ソシオグラマー) 東洋経済新報社)
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なるほど~。でも、
ソシオグラマーって何よ?
日常使わない言葉だなあ~。
ソシオグラマーって何よ?
日常使わない言葉だなあ~。
んで、
《思いやりは純粋に働く場合もあるけれど、ほとんどの場合
「利己主義の変形」として機能してしまう》
「利己主義の変形」として機能してしまう》
という竹内氏のいう言葉を敷衍して、中島氏はこう言っている。
《何よりもこれは、もう一つの美徳であるところの「勇気」と合致しないことを
指摘する必要があろう。勇気のない人も容易に実行できるような「思いやり」が、
われわれにとっての思いやりなのである》
最近、脳が働かないので (´Å`)ホゲ~なんである。
いや、実際は、ずーっとず~~~~っと頭悪いんですが(爆)。
その証拠に、この文、何度も読み返さなければ頭に入ってこなかった。
でも。
リハビリにはなりそうなので、記事にしてみたわけですが。
リハビリにはなりそうなので、記事にしてみたわけですが。
……んーと、終わり。(^^;)