夏目漱石の禅のココロ 「禅のわかる本」より、ある意味ダイジェスト(^^)

漱石は弱かったんだろうか。
鎌倉円覚寺で10日ほど、参禅修行をしている。29歳の時である。
(明治27年12月)その四ヶ月前にも松島瑞厳寺にも参禅。

その体験をもとに「門」を書いたという。
(どんな話だったっけ(?_?)

「門」を書いたのは、参禅修行後15年も経ってからである。

参禅する前に、禅の本は相当読んでいたという彼は、
釈宗演老師から「父母未生以前本来の面目」の公案を与えられた。

漱石はかなり迷い、相談するが、坐禅のみをすすめられた。
老師の室内で見解を述べても
「そのくらいなら少し学問をした者なら誰でも言えるぞ」と一喝されてしまう。


《結局10日間必死に解決に努めるが、どうしてもぶち破ることができずに
下山してしまう。そして先輩僧に、「決して損になる気遣いはございません。
10分坐れば10分の功があり、20分坐れば20分の徳があるのは無論です」
となぐさめられる》 (p.218)



15年後に書かれた夏目漱石作「門」の主人公宗助の言葉。


  ……彼は胸をおさえつける一種の圧迫のもとに、いかにせば、今の自分を救うことが

  できるかという実際の方法のみを考えて、その圧迫の原因になった自分の罪や過失は

  まったくこの結果から切り放してしまった。
 
   その時の彼はひとのことを考える余裕を失って、ことごとく自己本位になっていた。



(続く)