フォーカス的読書
「自分と向き合う知の方法」P.23~P.40 1996年12月号の「RONZA」に掲載された森岡正博さんのエッセイ 「自分を棚上げにした思想は終わった」 にワタシは共感する文がある。 オ ウム真理教事件を、他人事として受け止められなかった著者に、 ワタシはま…
新しいテーマ メモなんで、整理されてません。 「私が欲しいものをすべて手に入れたとして、したいことをすべてやったとして、そのときに私は〈ほんとう〉に自由なのだろうか?」 自分と向き合う知の方法 森岡正博著 PHP研究所 1997年刊 77ページの…
●「十牛図・自己発見への旅」 横山紘一著 春秋社1991年刊 自分はなぜここに、こうしているのだろう。宇宙や自然や自分といったものはまるっきり無くてもよいのに、なぜこのように有るのだろうか。もしかしたら、自分も人も宇宙もすべて幻ではないのだろ…
ヤフーブログでサーフィンしていて、元気のナイ人が多すぎるので、 ていうか、これって、元気のない人をはげませと言われてるのかなと 勝手に思って、2008年4月、 元気の出る本などをチョイスできたらいいなと思い、 そういうテーマの書庫を設けました…
「哲学の練習問題」 西研著 川村易イラスト NHK出版 p.61欲望のままに生きることは悪か──私たちの生をささえているものは何 「究極のエロス、日々のエロスがある」というコピーがついている。 エロスという言葉は、何も性欲に絡んだことばかりではない。 日…
「門」の主人公宗助の言葉の続きである。 今までは忍耐で世を渡って来た。これからは積極的に人生観を作りかえなければ ならなかった。そうしてその人生観は口で述べるもの、頭で聞くものはだめであった。 心の実質が太くなるものでなくてはだめであった。 …
漱石は弱かったんだろうか。 鎌倉円覚寺で10日ほど、参禅修行をしている。29歳の時である。 (明治27年12月)その四ヶ月前にも松島瑞厳寺にも参禅。 その体験をもとに「門」を書いたという。 (どんな話だったっけ(?_?) 「門」を書いたのは、参…