カルメンについて 「フランス恋愛小説論」を読む②

昨日の深夜というか、今朝、ヤフーの動画サービスの名作映画を三本
たてつづけに見た。「カルメン」「哀愁」「若草物語

カルメンは「フランス恋愛小説論」を読むために見たかった。
(読むといったって、ワタシの読み方はナナメ読み専門だけどね)
不思議に眠くない。カルメンの女優役は、イメージと合わないと思った。
妖艶な美女だけど(リタ・ヘイワース)オツムが軽そう。哲学がない。
素朴さがない。力強さがない。演じきれていない。物足りない。

自分の生まれた境遇を受け入れ、その上で目一杯生きる悦びを謳歌しようと、
貪欲に生きようとするカルメンの生き方そのものは、台詞や表情に出てくる
はずだけど、このカルメンからは、生きる意欲は伝わってくるけど、
単に生きる上で、仕方なく尻軽になった印象しか伝わってこなかった。
あれじゃ単なるワガママ女だ。(あえてカルメンである理由がない)
プロスペル・メリメ作。(1803ー1870)

ちなみに「カルメン」の章のテクストには、工藤庸子さん自身が翻訳して
新書館から出したものを自ら用いていて、私のここでの映画の感想は、「そこからの
カルメンのイメージ+歌劇などからの一般イメージ」と、映画とを比較した気がする。
カルメン」には他の翻訳もあるようだが、私は読んだことはない。

メリメは官僚だった。ナポレオン三世の側近の高級官僚。
学者、作家であると同時に、地位のある人というのはよくある話だ。当然博識。
メリメより20以上年上のスタンダールの親友にして、男前とは言えないが、女好き。
ダンディで、要するに遊び人。

あとは、工藤庸子さんの言に頼ろう。
ヨーロッパ近代小説は、文学上に「ヒロインの時代」をもたらす。(参考:p.116)
<19世紀の女性賛美は、強烈な優劣の意識を内包しています。「女好き」とは
「女性蔑視(ミゾジニー)」の謂いにほかなりません。>(p.117)

つまり、メリメも、一種のマッチョな男の一人にすぎないわけね。
私が思うに、彼は、カルメンのようなタイプの女性にハマッて、振り回された経験があるに
ちがいない。もう二度とごめんだと思いながらも、その魅力は認めているというような。
・・・わかる気がする。(ボソッ)勝手なこと言ってますが。(笑)

工藤庸子さんのカルメンの章の最後の引用で、しめくくりたい。
この文章は、書く側の人間としては、よくわかるのである。(アマチュアだけどね)

<これほどマッチョな男性作家でありながら、どうしてカルメンという「自由な女」を
創造することができたのか。文学の言語が作者の意図に反抗し、そのイデオロギー
裏切ることもある。ペンは予期しなかった真実が、書物のなかに露呈してしまうことがある。
――そんなふうに考えるべきなのでしょうか。>(p.120)

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