はかない生の狭間に、人はふと足をとめてざわめきを聴く

佐野量子畠田理恵(字がちがう?)が好みの人はSらしい。
(後者はちょっとちがうかもね)
ワタシは、人間が生きる上で、世代や年齢はほとんど関係ないと思っています。
魅力のある人に、年齢は関係ない。
極端なことをいえば、職業にもなんにも関係がない。
ユニークな人間、それはいろんな世界にいるのではないだろうか。
若い頃からそう思ってきた。

なかなか、世の中がそうならないようだけど、実際はそうなんだから
そのうち気づくだろう。(だといいなあ^^)

そういう意味でなら、リアルなことのほうが結構おもしろいネタがある。
リアルのほうが、出回っている価値観より納得できる。
くだらないのもリアルだったりする。
もちろんいやなことも多い。
これは誰だって同じだろうけど。

まあ‥‥なんにしろ、膨大で書ききれない。

不幸なことなら、何年も持続して苦悩を引きずることもあるだろう。
精神はやがて疲弊し、老いる前に機能低下を起こして、
病んでしまうこともある。

そういうものを抱え込んで、なんでもない顔して、
ブログに向かう人も多いんだろうな。

ああ、溜息しか出てこない。

実際に、文章ですべてが伝わることはないんだけど、
共有できる部分を持ち寄って励ましあったり、肩を叩きあい、慰めあうこともある。


はかない生の狭間にあって、ひとは
街角のざわめきにふと、足をとめて、孤独をわすれる。
それは人によっては救いになり、苦しみを癒すことにつながって‥‥。


吐息で曇ったガラス窓の向こう、誰かが誰かに笑いかけている。
モザイクの顔、音声だけが脳に響く。

誰もが、自分勝手な感情に色づけされて聞こえているのだろうけれど。
個々に幸福な誤解をして、善意の奥に安らぎのにおいを嗅ぎとって
互いの優しさに安堵する。

ああ、

感覚的でありたい。

「もう○○なんだから」
「○○だったら、普通はこうでしょう」
「○○にもなって、何をやっているの」
「おまえは変わっている」

こういう言葉に若い頃から、ずいぶん威圧されてきた。
最近、ここで創作のスケッチをしていて、逆に忘れていた親のことを思い出す
のだけれど、あらためて、創作のはたらきについて気づかされている。
忘れていた傷口が疼く感じが、久々に

「キモチイイー!!」

実際のところ、私は現在すごく感じやすくなっている。
若い頃の感覚に戻ろうとしているのがわかる。
でも‥‥視線が鋭くて、誰も近寄れなかったのが、
若い頃のワタシなんだけど、そのへんはどうなるのかしら?(笑)

壊れろ。壊れろ。
ワタシの中の
こだわりよ、塊よ、壊れてしまえ。
とけて、流れてしまえ。


私は笑わない人間だった。
皮肉的にものを考えていて、
素直でない、扱いづらい人間だったと思う。

「先生、数学なんてなんのために勉強するんですか?」
日常に役に立たないのにと、本気でそう思って、本気で質問した。

馬鹿だった。
意味がわかってからでないと勉強がやる気が出ないなんていう性格は、
頭の悪いワタシをよく表している。(^^;

これは不幸な性格だ。不運だ。
だけど、自分次第でどうにでも変えられた不幸でもあるのだ。
こういうのは誰のせいでもない。(T_T)