日々の泡(2) 若さという魔法 孤独と男の優しさに包まれた時間

前回の続き。

ときに場合によっては、こういった関係を
身内と持たなければならないことがある。

実の兄弟と兄嫁が、母親に嫌がらせしているのをみて、
その母親を擁護しようとする娘の立場で、
日々、奮闘の中、思い浮かぶ事、起きた出来事などを
記事にしていた人のブログをときどき読んでいた。

本当に心安らぐ場所がどこにもない人もいるのだと、
迫りくる寂しさを、リアルに感じ取っていた。

他人事ではないと思った。

92歳のお母さんは、長生きしているから、本当なら
それだけで誇らしいはずで、堂々としていられる立場なのに、
おどおど生きておられたように見えた。

お母さんは愚痴っぽくなって、死にたいとばかり口にする。
そうなっても、無理はないと思えるほどの冷たい身内。
実の息子とその嫁。

命があまりにも、モノみたいに扱われるのだから…。
お母さんの愚痴を聞かされるほうは、うんざりだろうけど…。

欲に目がくらんだ身内は、母親の命をお金に換算して、
少しでも金銭でソンをしないように動くのだけど、
ソロバン勘定して行動することを、ヒトとして恥じているならまだしも、
自分の権利として、悪びれることもなく、
むしろ、自分達はへたすれば被害者なんですよ、とでも言いたげに
ミエミエの身勝手な理論武装をして動いているように感じた。

お金って大事?
命より?

お金は大事ですよね。
でも。
命のほうが大事だ。(アタリマエ)

人間によっては、憎しみをいつまでも忘れない。
悪党ほど執拗に恨む。
そうなるまでに、悪党にも人生に傷付いた過去は当然あるだろう。
だが、年をとると、自己本位になってゆく。

助け合う心や、信じ合う純粋さは、人間不信色に染められて、
自分を重要視してくれる人のみを信じ、助けるようになってゆく。
戦国時代のような事が、小さな家族間でどこにも起きている。

(現在は私の身近にはないけど、昔はあった。未来は予測不可能)


憎しみを持っていると体調がおかしくなるので、
そういうことは、できるだけ日々やりすごすようにしてるけど、
それと、
若い頃から、親には理解されないことも、男の人は理解してくれたり、
優しくしてくれたり、そういった、「愛だな…」とシミジミできることが
記憶にあるので、そういう甘くて、優しくて、深い不滅の私だけのことを
認めてくれた人々の言動の記憶が、

たとえば、私が、何かを誰かを憎もうとしているとか、
歪んだ暗い妄執を持とうとすると、
ふと思い出されてきて、じわじわと抱え込んでいた悲しみは
優しさに包まれたりして、あるいは、霊的なふわっとしたものに包まれて、
幸福な心境に落ち着きを得て、
憎しみが消えてしまうことが多かった。

渡る世間に、鬼はまったくいなかったことも多くあったのだ。
若く、フラジャイルな私だったから、
少しの愛が、とってもありがたかった。

鬼は、私の場合、むしろ育った環境にあった。
(本当に複雑な環境だった。言葉で表現しても、正確に理解できないだろう)

若い女性であったあったおかげで、
寂しさや孤独はいっぱいあったけれど、
異性の優しさ、情や愛をたくさんもらうことができた。

もういい、もう十分、もう満足だよ、と思えたくらいに、
世俗的だけど、
楽しい気持ちを生み出してくれたのは、若き日々だった。


贅沢な日々の泡。
生まれては消えた一泡ごとの奇跡。


老いて、悪党になりたくない。
でも、いつしか、悪党にされていたりして、
冤罪の憂き目にあうことだって、近頃は多いのだ。

さて。
悪党どうし助け合い、契約を交わし合い、共通の利益を手にしたとしても、
彼らは必ずトラブルを起こす。
それは法則のようにそうなっているのだ。
悪党どうしに紳士協定など成立しないというのは当然の前提だ。


罠に足を取られないように、
今日も
不確かな一歩を仕方なく選び、
賭けのように踏み出すしかない。