「聖なるバーチャル・リアリティ」 西垣 通著 を読む①

この間、S新聞のPRの電話があった。
1680円(1650円だったかも)で、読みやすい紙面に刷新した新聞。
大きさも半分、読む人の状況を考えられた新聞だということだ。
その時、質問した。「中身はどう変わったの?」
すると相手が「中身といいますと?」と聞き返してきた。
私は言った。「うーんとね、小さくても、情報があるかどうかかな」
相手は「うーん、そうですねェ。情報は大切ですよね~」とさらりとかわしたが、
その時、待てよ、ここでいう「情報がある」とは、どういったことを指すのかな? 
と、自分で質問しておきながら、考え込んでしまったのだった・・・。

たまたま買ったばかりの100円本を手にとって、読んでみた。
・「聖なるバーチャル・リアリティ――情報システム社会論」西垣通岩波書店 1995年刊)

情報とは、東京からニューヨークに設計図を郵送して、ニューヨークに家を建てる時、
紙が移動しただけだが、この紙はただの物質だが、それを媒介(メディア)として伝えられた
「何か」である。この「何か」を情報という――と、p.10に。
この「情報」は生きることと深く関わっているのだ。ここが、物質やエネルギーと違う
ところなのだ――とp.10に。
うん、うん。

新しいS新聞の情報の内容にこだわった私は、いったいどういう意味でこだわったのか、
実ははっきりしなかった。
でも、この本を読み出したら、すっきりした。
情報の量にこだわっていたんだと。
たとえばこの本の中にある例なのだが、一冊の分厚い本があるとする。
「私」に置きかえていうと、私が「この本は分厚いわりに情報量が少ない」と感じたとする。
この時、私の言う情報量とは、どういう意味での「情報量」なのだろうか。
二つの場合があると、この本は述べている。(p,12)

①内容が知っていることばかり
②興味が湧かない(魅力がない)

S新聞のPR電話のときに尋ねた「情報があるかどうか?」というのは、たぶん
①にあたると思う。

でも、ものを選ぶ時って、自分にとって興味があること(もの)かどうかであることが多い。
そういう意味で、新しいS新聞の内容が、私にどういった魅力的な内容か、わかるように
相手が話してくれたら、気持ちが動くだろうな――と思った個人的なことはともかく・・・。

実際の話、「興味がある」から「知っている」のであって、①と②はつながっている
のだという、日頃あらためて考えないが、当たり前に行っている意識活動?について、
著者は説明してくれている。 (目からウロコでした)

(②に続く)