「聖なるバーチャル・リアリティ」 西垣 通著 を読む②

(①の続きです)

第一章 誘惑する情報 のp.13までしか読んでいないけど、この項のまとめとして
引用したい箇所がある。
<情報とは「いざなうもの」でなくてはならない。生物であるわれわれの興味を惹く
魅力的な対象が、はじめて情報として<意味>をもつのだ。>

ちなみに1章だけで、p.9からp.54まである。
もう一度言うと、p.13までしかまだ読んでいない。(そこまで読んで、考えさせられて、
立ち止まっているのだ)

この本は情報の量について書かれた本じゃないし、一章すらワタシのような者には
時間かけなきゃ、読みこなせない本だと思う・・・。(汗)
ただ、日頃、ネットについて考えたいなと思っている文系の人には、この本は、
じっくり読むことそのものが、瞑想や修行の役目を果たす可能性もあるかも
しれないなァと思った。

文系(それもおちこぼれ)の私には、コンピュータやらインターネットやらは、
使用するからには、登山のように事前に特別な準備期間と、知識と、体調を万全に
しておく必要のある、未知の危険な山のようにさえ思える昨今なのだ。
(今までは、恐いもの知らずだったような気がする)

論理的な思考ができる人は、ネット社会についての限界と可能性について、昔から
示唆してくれていたんだよね。読んでなくてゴメン・・・という感じ。

ほどほどの厚さながら、とても情報量の多い本。つまり、「生物」の私にとっては、
興味のあることにいざなってくれる、魅力的な本だということダ! (^^)
(この本はネットの未来を楽観的に考えることに警告を与えているような気がするので、
ぜひ読み通したいと思っている。じっくり読むつもり。(時代にカナリ遅れていますが(-_-;)

西垣 通氏 ITインタビュー 日経bp
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/21

(続く・・・たぶん)