乱期の5月の詩 あるいはハードボイルド小説が好きだった男

   乱期の5月の詩


昔、私の5月は乱気だった

ゴールデンウイークで思い出すのは、
若い頃、ある男の部屋にお泊まりした記憶である

若かったな

5月というのは、何か、人をうきうきさせる要素でもあるのだろうか

はっきりいって、
男の部屋に行っても、ほとんど寝なかった私が

友達が感心していたものだ
「男性のところに行って、その確率で無事でいられたもんだね」

身持ちは固かった、
というか

遊べない性格の、自分への反逆のようにして、
好きになれない男性という
「性」への好奇心に身を任せたかった、
そんな時期はあった

自分を壊すために、異性とつきあうみたいな

実験みたいに体を重ねたことはある

音楽のように
お祭りの日のように

ニューヨークやストックホルムの話に相槌を打ちながら

肌触りのいい敷き布の下からは、見知らぬイヤリングが、
ポトッと落ちた

‥‥まあ、そういう時代だった(笑)

たとえば、冷蔵庫には札束があって

壁には、MOMAの永久保存の道具箱と
セブン・チェアがある

テーブルの上にはコンバースの靴が
(なんでテーブルに置くのさ? 汚い!)


だけど、当時は深く考えず、私はまるで、
思春期の女の子のように毎日を
ざらざらと過していた

サンドペーパーの私は、最後には内面を磨き出した
そのうちに、
バロウズとオースティンが、
デビット・リンチと遅いスピルバーグ
とともに、安藤忠雄とは無関係な夜や、
獣じみた欲情や、
家族問題、
精神的な愛などが

何度も訪れたのだ

物語を書きたいと思っている気持ちだけが、その日も後も同じで・・・

ああ
その時の男は、
ハードボイルド小説が好きだったな・・・