プロットがないと持続できない創作

「ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる」
とばかりに、あれこれ自分の過去を通り過ぎて行った(なんちゃって)
オトコ達をネタに調理法を変えてみたり、ダイレクトに書いてみたりしている。
(たいしたネタでもないですが‥‥(^^;

型式は詩のようであったり、小説であったり。
いずれも短編から中編になりそうなネタだ。
私は長篇しか書けないタイプだ。
ゆえに、テンションを上げ、パワーをためこんでゆきたいけど、
ブログのスケッチていどの小説で、調子が出るわけもない。

でも、今日、
「高校教師物語」の続きを書いてみて、記憶が前後していることを
思い出して、前後10年以上にわたる出来事になるのだと、あらためて再確認。

今後の話の具合によっては、大幅に設定変更しなくちゃならないか、全部作りこむかにしないと、使おうとしていたネタ同士のつじつまが合わなくなってしまいそう。

実は、行きあたりばったりで書いている。
行きあたりばったりだから、いろいろ考えるのだ。それに賭けている。


実体験を元にした話は難しい。
昔は言葉にできない複雑な感情だったから、書き言葉があって、表現
することで、精神(こころ)を助けてもらっていたのに、今は体験に
助けてもらっている。

自分の書くものは、一つとして、自分の体験しなかった感覚、感情は
ないのだけれど、でも、小説は小説。
ノンフィクションじゃあないから、いつもどこかは作らなきゃならない。
(ていうか、ほとんど捏造の場合も)

言いたいことを言うために。
本当のことは言ってはいけないゆえに。

ということで、今後も書きながら、あとから直しながら創作してゆきます。(状況設定、人間関係、年齢設定他)

高校教師──このネタ、書きたいです。
本格的に書く気(=長篇)になれるネタだといいなー

プロットがない創作。
続くだろうか?
実は続くことよりも、「よいものになる可能性があるネタ」だという
予感が欲しい。
その直感があれば、あとは情熱が運んでくれる。
ラストシーンまで。