ブログとのほどよい距離感を保てなくなったら‥‥(1) 「や ぶさんの家」の場合

私はネットはバーチャルだと思う。
ただ、現実の一部ではあるとは思っている。
だけど現実であると同時に、現実以上に、内面が出てしまう場所だとも思う。
ネットが恐いのは、たとえば、「や ぶさん」でいえば、

頭の中でそれぞれのや ぶさんが勝手に作られてゆくこと。

や ぶさんへの気持ちが「こんなはずではなかった」ならまだいいんだけど。
長期にわたる記事の蓄積で、イメージがたまってゆき、
共感し、昔から知ってる人のように感じてしまい、ライトに好意を抱く。
これって、現実でもよくあるんで、これじたいはなんの問題もない。

気になるのは

「や ぶさんはこんな人にちがいない」

という自分の思い込みができてきて、
ネットにおける心理環境が、唯一の現実みたいになって、
聖域化して、理性を失ってゆくことかなあ。

そうなるとネットは、

周囲と共有できる「現実」ではなくなる。

思い込みで一方的に対象に発した言葉は、相手を縛るだろう。
居心地悪くさせて、「期待に応えてよ」というプレッシャーを与えることになるのではないか。

「あなたが好き」なら、好きな相手に何をしてもいいのか? 

ブログと自分との正常な距離感を保てなくなったら、「日常性」は崩れる。

自分では距離感が保てなくなったとは思わないだろう。
聖域化するまで夢中になっちゃった人は、対象が消えるだけではだめだ。
「結局、あの人って、つまらない人だったわ」
くらいに失望しないことには。
あとを引くのではないだろうか。

(オトコなんて、みな同じだよ、くらいに思わないと(笑)

ぶっちゃけ、男性側も勝手なもので、都合のいい情報を発信していた
だけかもしれないのだから。
インターネット上のバーチャルな出会いなのだという気軽な操作で、
イメージ操作ができるというのが、モトモトの前提なのだから、
自己責任で、情報を処理して楽しむべきなのだ。(^_^)


(2)につづく