思い出ベンチ

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昨日「ノッティングヒルの恋人」を見ていて、あたらしく気づいたことがありました。

思い出ベンチのことです。

世界的スター女優アナと旅行書専門書店経営者ウイリアムとの
逆玉シンデレラ・ストーリーですが、
二人が二回目のキスをかわす庭園に長いベンチがあるんですね。

この背もたれにはこう刻まれてています。

“この庭が好きだったジューンへ”
“いつも傍にいたジョセフより”
設定上ですが、ジューンは1917~1992の生涯と刻まれた
夫の思い出ベンチです。

この私有地の庭は近隣の住人に開放されています。
これもイギリス的?

今日、近所の薔薇のアーチにあちこち足をとめ、眺めてきたせいか、
イギリスが舞台の映画に庭園が欠かせないのと、
日本との美意識の違いを、また少し意識したりしました。


環境は人の意識まで変える。

よく飲みに行っていた頃、おしゃれなお店が好きで、
みんなと飲み歩いていた頃、だんだんお酒だけに飽きて、

そのうち、

お料理も美味しくて、インテリアも素敵な、
画家の女性がやっているお店をみつけて、
一人で訪れるようになりました。
いつも女性一人でくる人か、女性二人連れ、5人くらいしかいない。
8人で満席でしたが。(笑)


一年後、偶然、私の服を作ってくれた近所に住む友人の親友がママさんだと知って、
驚いたことがあります。
だって、
彼女の服はお気に入りでしたから。
この店にもよく着ていったので。

といっても、二着だけですが、どこにもない服だった。

そのうち、隠れ家のようなこのお店は
ママさんが体調を崩して、なくなってしまいましたが、

ママさんの生け花が、個性的かつ斬新で、今でも、十分通る普遍的なセンスだったなあと回想したりします。

あの頃も今も、彼らのような才能と気配りには、ほど遠い子どもっぽい私・・・

でもそういった才能に恵まれたり、他の人々のためによいものを提供できる人々は、

代々というか、先祖が普通とちがっているからじゃないかと思ったりして・・・。
いろいろ思い出しました。

ほんとに振り返ると、様々な面の才能のある人々が周囲にいたんだなと。
ありがとうございましたと、感謝したいです。

今ないものをねだるより、過去のギフトにまず気づいて、どんなに恵まれていたかを思い出すこと。
それがまずは大切なことだと思っています。
毎日、時間を無駄に消費していってる自分に焦ります。
時間の配分がヘタ。

読む本が、古書店を散策してるうちに、
また増えてしまったんですもの。
モノを得るって、時間を消費することなんですよね。

隠れ家みたいなカフェとか、また見つけることができるかも。

さて、話が脇にそれましたが、
アナとウイリアムの恋が深まりつつある場面において重要な役割を持つこの「ベンチ」が、
ラストにも出てきますが、
形と大きさは似ていますが、ちがうベンチなのです。
劇場では細部までみないから、同じものだと勘違いしてしまうような
ソックリなベンチですが・・・。

なぜ、同じものを使用しなかったんだろう?

監督ってこういう謎をわざと残す人もいますが、
ただ単に、撮影上の都合だったりして・・・。

公園にも最近では、よく思い出ベンチを見かけます。
生きてる人への “記念ベンチ”が多いように思うけど・・・。

先々週、半年ぶりに会った友達と行った公園のベンチですが、いろんな悲しい過去を乗り越えるのに、
思い出のモノは、

残したほうがいいのか、
捨てたほうがいいのか、
ベンチを見ながら話してたんですね。

そうしたら、
この数日後、思い出の置き物か何かが、自然に壊れたというメールが来ました。

「古い自分は捨てろというお告げかも・・・。一歩、踏み出してみるよ・・・」

ということでした。

ところで、映画って、ストーリーに気持ちがとられて、英語は覚えられないな~(><)