自分の内的世界と向き合うためのインテリア  自分らしさを取り戻す空間づくり

前回のつづきになるのかな。
随時、書き直し、あいた時間に書き足してゆきます。
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「エル・デコ」というインテリア雑誌は、生き方にまで影響を与えられたような気がする。
目と精神の栄養だ。
十年以上前の数冊の印象的な本が残してある。


インテリアがたとえば、住居のインテリアで、テーマが
「本来の自分を取り戻せる空間にしてください」というものだとする。
ふつうはホッとする空間を思い浮かべる。
座り心地のいいソファ、行き届いた家具配置、
適度にすっきりと片付いた印象に見せられる収納の工夫、
ポイントになったファブリック、仕切壁を付けたり、外したり、
一枚の絵画、張り替えた壁紙、なんでもいいのだけど、くつろぐ、安らぐ、癒される空間のイメージだ。

だが、13年前のエル・デコでは、都会で住まう者のにとっての「自分を取り戻す空間」をこう言っていた。

「自己表現の場としてのインテリアが重要なのは、都会だからこそ、という部分もある。日常の慌ただしい生活から、開放され、本来の自分を取り戻す空間であることが必要だからだ。とは言っても、それは日本でよくいうところの“くつろぎの空間”とは違う。“アット・ホーム”と言うと聞こえはいいが、ともすればそれは誰も見ていないのだから、汚くてもいい、とにかくダラダラできれば、といったようなイメージがつきまとう。そうではなくて、大都会というプレッシャーの高いところだから、それに負けないだけの内的な世界の充実を図る場所という位置づけで、自分の部屋があるということだ」

これには心地よいショックを受けた。

家そのものにアット・ホームを求める人に都会は向かない

とか、

家に帰っても常に自分と向き合わなくてはならないのは、緊張を強いられることでもある。それでも、自分の本当に欲するものだけに囲まれ、自分の世界を実現できれば、そこはオアシスになる。

とも書いてあった。
(1995年2月号p.49より)

正直、状況や心情によっては、疲れる文でもあるように思う。
これを読んだときは思わなかったが、
実は、すこしあとになって、このインテリアのコンセプトって「禅」的だなと思ったのだった。

利休の茶室じゃないけど、狭いロフトを日本の住宅の工夫で、
多くの持ち物の収納の工夫をしている例も、この特集にあったせいもあるかもしれない。
もしそれで収納計画が成功していれば、
次の段階だというような。

自分の意識は、環境に知らず知らず影響されているのだ。
たとえば、ある場所が片づけられないということは、脳がそういう状態だということなのだ。

...だから、なんなんだよ~?

と、書いた自分自身に言いたいです。(苦笑)

(未完)