同潤会青山アパートっていい味出してたな~ 安藤忠雄の解答

イメージ 1

跡地にできたのは、いわずとしれた

表参道ヒルズ

ですが。
・・・わりと思ったより敷地が狭いんだよね、いろいろ入れ込むには、ハンパな大きさな敷地だと思う。

安藤忠雄さんの解答は、大胆だけど、スロープというユニバーサル・デザインの象徴のような装置を用いて、
街路を歩く人々をそのまんま、内部に招き入れてしまう軽快さだったということになる。
あの場の使い方は、歩行、移動、休息、飲食、などの
消費活動を行っている街路と、なんら変わらない行動を人間に行わせるだけ。
(アーケード付きであるだけだ)

ただ、普通の街路と大きくちがうのは、歩く人々の気分であるだろう。
まず、移動手段が主にスロープだという、目先の物珍しさ。
次に、
たとえば足などに傷害のある人が、家族や同伴者と一緒に、
車椅子に乗ってることが原因の煩わしさがなく、街歩きと風景が変化してゆくのを楽しめる点。
これって、小さなことだが、すごいことなのだと思う。

これまでは二階三階に行くには、車椅子だと、どうしても機械が必要だったが、
スロープは、過去のそういう「必要」が、必ずしも必要でないことを、車椅子の移動者に教えるのだ。
差別など、発想の転換の一例でなくせるていどのものだという事実を、
彼らは身をもって体験するのだ。

健常者がダウンサイズされた環境に取り込まれたような形になるのかもしれないけど、どう解釈するかは気分の問題かもしれない。(苦笑)

少なくとも、ここでは健常者と車椅子の人間のあいだに垣根はないのだ。

差別や違いを吸収してしまう機能や装置があるなら、どんどん用いるべきだと思える。


縦にのびるアーケード付きスロープ。
あれ以上の解答はないかも。


住吉の長屋

は、
まず外部から閉じた空間に、庭という外部を引き込み、
季節を日常に感じられる空間になったような安藤さんの作品だけど、
ワタシは長屋というか、町屋風の造りの家で育ったので、斬新さはなかった。

だが、自分の育った環境を客観的に見ることができた。


「住吉の長
屋」の図面は複雑で、読みとるのが難しかった。あの図面は嫌いかも…。

神戸の「ローズガーデン」

で、たぶん安藤さんの作品とはじめて出会ったのだ。
同潤会の青山アパート建て替えは、彼にとっては手がけるのは運命だったような仕事。
あそこは、彼がよく知っている、思い出のある場所だったという。
いくつか、古いものを残した一角がある。モニュメントのように。

さて。

誰にもそういう出来事がある。
ふと気づくと、偶然こうだったというような…。

ワクワクしてると、そういうことは起きるというよね。
でも、せっかくユングやコリン・ウイルソンみたいに、
シンクロニシティの力を教えてくれてるのに、意外と使ってないもんだね。
ジョセフ・マーフィの成功法則にしても、ね。

望むことが、目先の好運が先になっちゃうからかもね。
これって「欲」じゃない?
シンクロニシティって、精神的な充足であって、欲とはちがうように思う。


画像は懐かしい同潤会アパート内部、ショップのあった頃だから、最後の時期だなー。
記念に撮影してる人がよくいた。
七、八年前ですね。
ーーーーーーーーーーーー
なんか、まとまらない内容でごめんなさい。