秋葉原ホコ天殺人犯人と、悪女の罠

秋葉原の事件は、ワイドショーを見ていて、
ネット依存も事件の一因にあると思えるのですが。
ああなってしまった原因はなんなんでしょうか?

自分を不細工だの、誰も寄りつかないだのと卑屈にグチってるけど、
それほどひどい不細工でもないし、友達いないと言ってたけど、いなくたっていいじゃんと思うし、
男性って友達いないのってよくあるしね。
また、彼女いなくたって、そんな人いくらだっているんだし、なんで、その程度の理由で、
自分の人生を不幸だと思えるんだろうかと、不思議に思う。

そういうKみたいな考えの人って多いのかな?

なんのかんの言っても、やりたいことが見い出せなかったんだろうか、とか、
苦痛だった人生の苦悩の臨界点を突破してしまったんだろうかとか、
いろいろ思うけど、

結局は、あの程度であんな残酷なことができてしまう感覚なら、
基本的な人間としての優しさや思いやりを持っていないのは当然で、
だとすれば、

いわゆる「好運(幸運)」というものからも見放されていたことは確かだと思える。


だって、
好運(幸運)て、どんなに冷たい人間でも、意地悪な人でも、
ふとしたはずみに、
思わず見知らぬ人にしてあげた思いやりの行為だとか、親切が、
巡り巡って自分の逆境な時や悩んでいる時に、
偶然の形で頂けた他人の励ましや優しさだったりするように思うのだ。
これって、かなり幸福な気持ちになれる。

経験上、異性運はこういうところから来るように思う。
ワタシ自身、Kの気持ちの一部はわからなくもないけど。
私だっていびつに育った感があるから…。
ただ、親をどんなに恨んでも、他人には関係ないと思っていた。
私は両親と話し合うことを望み、徹底的に話し合ってきた。

事件を起こした犯人Kには、仕事をやってゆくのに
スキルが必要なことは理解していたと思うけど、
恋愛にだって、スキルが必要だということを認識さえしていないのではないだろうか。
それ以前のことで悩んでいるんだから。

恋愛と親子関係は、深い関係があると思う。

うまく言えないけど、Kは、親を断ち切れなかったのではないだろうか。

愚かで馬鹿な酷い親だと思いながら、そういう環境に生まれたことを、
腹をくくって、うけとめることができなかったんだと思うのだ。

離れているんだから、形としては親を断ち切っているわけだが、
魂では断ち切れなかったというか。

うまく生活ができてる時はよくても、
生活が行き詰まってくると、努力しても報われないことは理不尽に思えてくるだろう。
だが実際は、Kはカートなどお金のかかる趣味をはじめた矢先にリストラにあい、思い通りにいかないことに
むかついていたという。

(やりたい放題やれない現実に腹が立っていたんだよね…)

思いのままにならない現実を、親のせいにしてみても、
同居ならかろうじて成り立つ理屈も、ホントにただの醜いワガママでしかない。

で、親を恨み出すんならともかく、なぜか、ここで出てくるのは社会だ。
Kは「誰かに止めて欲しかった」という凶行に至る。

ふざけるな!

という感じである。
なぜ、恨んでいる親と話し合わなかったのか。
トラックでアキバにに突っ込むより、そちらが先だろうに。

Kのネット(携帯サイト)への多くの書き込みは主観的妄想と、不完全な自己完結性が目立つように思う。
ほぼディスコミュニケーション

社会は人間のつくった幻想のようなものだ。

ネットは限界のわかっていない、ある人にとっては聖域、
ある人にとっては悲しみの海、
ある人にとっては誹謗中傷の渦巻く地獄である。
他に、人の数だけ、あらゆる表現ができるだろう。

ネットはあの世のようでもあると誰かが言っていた。
リアルという日常で、口にできないことを、見知らぬ人々に語りかけることができる場だ。

だけど、本当のこと、真実など、現実にも、厳密に言えばないのに、
ネットになどあるはずがない。
あったら、むしろおかしいのである。

真実は人の数だけあるのだから。


毎日、多くのフィクションが量産されている。
誰かが見ている。けれども、自分の書いたものが、
伝わってほしいように伝わるとは限らない。
年月がその内容を変える時もあるし、
相手は性格や状況や考え方や価値観によって、取りたいように解釈するだろう。

バーチャルな世界で、フィクションを相手にしているうちに、

Kは、現実との接触をしなくなったのだろうか。


再度言うが、ネット世界はフィクションである。現実ではない。

他者との交流には時間差が常で、相手は自分の考えているような日常というわけでなく。
どういう人かわからないし、書かれたことは文字であり、その人物の細部まで知ることはできない。
むしろ、誤解していることが多いように思う。

ネットはフィクションである。
常識としてまず、今後の良き可能性も考慮してさえ、この前提は忘れてはならないと思う。
顔が見れず、目も表情も見えない世界で、なにがわかるのか。

ただ、顔が見えないからこそ、見えることもある。
金儲け主義のヤバい霊能者などの正体を見抜けるのは、
ネットならではである。(笑)
もちろん、ヤバいと言ってるのは霊的なことでなく、人間としての基本的なこと。

卑怯なやり方をいろんな人にやっていて、ある意味懲りない人がいる(苦笑)

人間的に疑問を感じる人は、「霊的にどうなんだろうか?」とか問うのは愚問。
これぞ真理かな。

スピリチュアル系のブログはあまりに多くて、あまりに妄想的で、
驚きのあまり、いくつかに分けて以前、記事にしたことがある。


Kは、書き込みの向こうに友達を期待したのだろうか。
掲示板で、だれも応答しなくなったから、殺人をしたいというような方向へ、エネルギーを向けたのか?


“本当の友達が欲しい” (Kの書き込みより)

事件四日目にして、Kの書き込みを通して?H2>ワイドショーが、 Kの気持ちに切り込もうとしている感じだった。
Kに共感できる人など誰もいないが。
== 女性に執着している、 ==ということが書き込みから見えるそうだ。
いまいちわからなかった。



話はコロッと変わる

以前、TVで男が女に罠にはめられる映画を観たとき、「こういうの好きだなあ…」と思った筋がある。
題名は「ナイトアイズ」だったかな。ちがうかも…。

若い色男が、美しく謎めいた富豪の人妻に翻弄される内容である。
一時期、こういう上流の悪女が男を翻弄する内容の映画が、結構多かった時期があった。
下着を着けていないシャロン・ストーン股間
見えるか見えないかで物議をかもした「氷の微笑」もその部類。
というか、

代表作品だなー。d(*^.^*)b

あまり好きになれない女優さんだけど、「トータルリコール」ではシュワちゃんを騙して、殴って、闘いっぷりもお見事でした。

サイバーパンク映画だと思うけど、
ワタシは悪女映画の一つとして、数えています。

ところで。

映画「ナイトアイズ」の、悪女である人妻は、
男に自分を支えてくれるように願ったり、不安で心細そうにふるまうんである。
夫が自分を陥れようとしているとかなんだったか忘れたけど(苦笑)
理不尽な状況に追い込まれていて悩んでいる、不運な被害者の立場を訴えて、
色男に保護を求めるのだ。

シャロン・ストーンではなく、もっと女性らしいしっとりした美人さんでしたが。

あくまで自然に、相手の男性に魅力を感じていることをアピールして。
自分の美しさが男の心を動かしてたのを知った上で、
ゴージャスな衣装と、洗練された上流社会のふるまいを、男の目に焼き付けながら、
彼女は、どんなにモノがあっても幸福になれない自分を訴える。

“わたくし、ほんとうの愛に飢えているのよ”

とでも言いたげに、気だるく男を見つめれば、もう、話は佳境に入っていると言えるのかも(笑)

そして熱いキスをかわし、メイク・ラブして、つまり、色仕掛けで、

あくまで自然を装い、男をその気にさせる。

ラストに。
思いきり、どんでん返しがある。(苦笑)

性。

このやっかいで甘美なものは、人を躓かせる原因にもなりうるわけだよねってこってす。

性まで格差社会の現代。社会が悪い面も確かにある。
メタボ格差もあるし(笑)
自分を生きづらくしているのは、自分なのか。
他人なのか。社会なのか。

もう、日曜日のホコ天のような、二度とこんなことが起きませんように。