別れとか、アキバ事件とか、恣意のままにまとまらない記事

アキバ殺傷事件のネタは,
視野の広がりが持てない。
記事にしてみて、鬱屈した気持ち、殺伐した気持ちが見えたが。

本当に暗くて、いやな事件だと思う。


Kって、発想が貧しすぎて、他人を傷つけたくなったんだろうけど、
そういえば、私が苦悩しているとき、そこをなんとか脱したのは、読書のおかげだったように思う。
ビジネス書を読んでいた。砂漠に水が染み込むように、ゆっくりだったが、吸収していった。

私は頭が悪いし、勉強もしなかったけど、哲学書は読んでいたな。

昔、カウンセリングに行ってる時には、心理学の本を多く勧められた。
童話とかも入っていた。
アドラーユングエリクソン森田療法、を思い出す。

フロイトは読んでいない。読んでおけばよかった。
ラカンを読みたくても、フロイトが多少でも入ってないと読めない。

私がつきあう異性は、なぜかいつも頭のいい人だった。
若い時は、頭の良さだけでなく、相手がとても大人に見える。

頭だけでなくて、なんだかのんびり育ったみたいな人を好きになる。
兄貴が頭がよかったんで、ブラザー・コンプレックスかと思うんだけどね。(苦笑)

本音いうなら、アキバ事件のKは、私であったかもしれない。
実のところ、そのくらい、私も一時はすさんでた。
だけど、そういうのって、誰でもある「反抗期」が、大人になってから吹き出した感じで、

そうだなあ、自分がもう別の自分で見ていたみたいな感じはあったな。

ぴんとくる殺人事件があると、友達に、あの心境は理解できると話していた。
だけど、それなりに楽しいことが日常にはあって、なんとなく忘れていった。

自分の欲望が満たされなくなった時、他人のせいで自分はこうなったんだという思いが、あらためて湧き上がる。
これはわかる気がする。

それでも、生きていかなければならないわけだけど。

で。

生きのびたわけですね。ワタシは・・・。
生きのびれば、なんとか道は続くというか・・・。

自分がやりたかったことは叶えたかもしれない。
これからやりたいこともあるけど、ひとつずつだ。

私は、友達に何を言おうと、
「あなたは恵まれているよ」
「考えすぎていないか?」
「悩むことが好きなんじゃないの?」
などと言われていた。

友達は多くても、ワタシを真に理解してくれる人は、いなかったな。

どうなってもしらないよ、という気持ちや
止めてくれればよかったのに、という気持ちは理解できないこともない。

でも。

これは、親に向けるべきもので、社会や、他人には無関係だと思うけど、

そういう時代なのだろうか・・・?


個人的な家庭内の問題を、社会に置き換えて発展させる無理な考え方。

エコロジーなら、ありだけれども。


心の中で生まれたガスは、気分転換で自分でガス抜きすべきであって、
毒素をためちゃったら、周囲にを傷つけることになる。
=

ああ。大変な時代だ・・・。


ぶっちゃけ、
いつもワタシは、元気そうと言われる。
ワタシってほんとにおばさんだなあ、ああ腰が痛いわ、と思ってると、
「若くて、これからよね。あなたを見ていると、元気が出てくるわ」
などと言われたりする。(苦笑)

いつも一人前になにもできないワタシ、必死なのだが、それがみっともないとは映ってないようだ。

やっほー☆


ワタシは、あんなに嫌だった自分の外見に救われていたりする。
おかしな話だが・・・。

さて。

誰でも言えることだけど、今が惨めに思えても、何かを続けていても、結果なんて何年も出ない。

だめなときは、体調が原因の時もあれば、家庭の事情が原因の時もある。

単に目先の快感に負けて、日々をうかうか過ごしているだけで、
来てしまった時だってある。

それが自分にとっては「快」だからだ。

それを選んだのは、ほかならぬ自分なんだよね。


人には確かに、やりきれない時があって、
「○○のせいだ」と直感的に感じる時がある。
直感というのは、人間については当たらないことが多い。

こういう時、
信じるものが一つでもあれば、いいのにと思う。
信仰心というか、
最後は宗教になるんだろうな。(笑)


この事件について触れることを批判する人もいるようだけど、
確かに、
こんな身勝手な、ありえない事件はない。

ある意味、これが頂点で、もう、社会は正気に返ってもいいのではないのか。


秋葉原オタク文化なんて、正直、個人的には興味ない。
ある意味、この時代、どんな人も何らかのオタクなんだけどね~
でも、どーせオタクなら、お姫様ファッションのほうがいいや。

ageage~☆


ていうか、
私がKにならずにすんだのは(これ言うと、知人たちが笑うのよ~)、若いすさんだ時期に、

霊的な現象が起きてきたので、

Kみたいに、反抗する自分、荒ぶる自分なんてやってられなくなったのだ。(苦笑)

内的な事柄の追求が主眼点になってきたのだ。


ただ、私も外からは、
激しい自我を持つ、怒りと攻撃性に満ちた内面だとは見られず、
いつも
明るくて一生懸命で、よく働く子というふうに、若い時は言われた。

実際、

鏡を見て、自分でもポケッとしてるようにしか見えないなあと思ったもんだ。(苦笑)
また、非常に外交的なのだった。意外なのだが。
それは今でもそうかもしれない。(笑)

当時は、女の子は外見だということをよく言われたが、私はジーンズにショートヘアを貫いていた(笑)。
今は男性も女性以上に、外見は大切なんだな~。その分、Kのストレスも増えただろうな。

ギュウギュウ詰めみたいな、人間を家畜みたいな扱いをする職場のあり方も問題だったろう。
最近、そういう職場にいた知人と話した内容がまさにそれでした。
流れ作業の工場。賃金は、驚くが、800円台で、派遣ではない。
問題はお昼休みが30分しかないこと。
人が居着かないそうだ。やめる原因はいつも病気らしい。(オイオイ)
知人はここの倍の賃金で条件のいい職場(工場でなく事務)にいたので、
ここはヤバイとすぐわかったそうである。

この知人は、不思議な人で・・・と書き出すと、キリがないんでいつか。

ところで、

外見なんて錯覚なのです。
昨今のモテ・ブームなんて、錯覚を利用してるとつくづく思う。
もうひとりの自分がいたなら、男性用セレクト・ショップつくって、
セット・アップ売り専門店をつくります。
もちろん、ショップの設計もアタシ。(笑)

あら、脇にそれちゃったわ。


男性は顔じゃない。個性と存在感だ。
そして歴史。
ニートだって、専門職だって、公務員だって、その個人の歴史と未来から、
現在の好ましいスタイルの提案をしたいと当店は考えております(笑)。

Kの外見とくにやばくないし、Kより不運な人はいっぱいいそうなくらいだ。
なのに、Kは自分の可能性に気づかず、
自己完結してしまったんだな・・・。残念。

他人がKのことをK本人以上に知ってるとは思わないけど、
自分がそれほど捨てたものでもないところを探してほしかったなあ。
必ずあるのだ。

すべては比較から生まれる。
比較して、惨めな自分を見い出す。


さて。コロッと話は変わる。


法律関係の仕事をしていた男性が、いつも私とは違う尺度で他人を励ますので、首を傾げていた。
うまく説明できないが、たとえばワタシが、自分の能力の限界に悩んでいると、
日本語を話せるだけでも、目が見えるだけでも幸福だよ、というのだった。

独特の基準を持ってもいた。
たとえばこうだ。

東大医学部>東大法学部>慶応医学部>慶応法学部・・・・・・


実に人間はおもしろいと思うんだけど、こういう価値観を持った人は、当時周囲にいなくて。

だって

端的にしかものを言わないんだもの。
雰囲気どういったら、伝わるんだろうか。たとえば、
ナレッジ・マネージメント、シグマ・シックス、
コンプライアンスがどーのこーの、カイゼンがどーの、連結決算がどーのという感じです(笑)。
言いたかったよ。

だから何?

って。(苦笑)

「勝ち組」と「負け組」を明確に分けて、自分の位置はどの辺かを、たえず考えているような人。

「金持ちとはつきあうべきだよ」

アメリカのウォール街か、お前は!!(意味不明ですね。スマン)

なぜこのような男と出会ったんだろうと、ほんとうに不思議だった。

価値観がちがうんだよね。

だけど好き。
相手もだった。

でも、なにかが引っかかっていた。

相手は、それを感じていない。
だから、話し合うことはできなかったのだ。
お互い、日本語なのに通じない。

「アリー・マイ・ラブ」だっけ、

あの再放送には何度慰められたか。
あそこには、格差社会の男女の出会いの本音とズレが描かれていた。

誠実に出会わなきゃと感じてくれて、彼も努力した。
だが、次第に、どうしても根本的に合わない気が、ワタシはした。

まず。
身分違いだということ。(笑)
古風だが、身分違いは不幸のもとだ。
そう言ったサブリナの父親を、ワタシはリスペクトしている。(微笑)

向こうは、こちらをお嬢さんだと思っていたらしいが。
ちがうからね・・・。

そういえば、

その何年か前も、裕福なお坊ちゃまとお別れをした時、
なぜ振られたのか理解不能だったそうだ。

「孤独だったからよ」
何年かぶりに再会したとき、私は言った。
「僕に魅力がなかったからだと思っていたよ」
彼は言った。
「まさか・・・。あなたと二人きりでいるととても安心感があって、幸せだった」
「それでも君は去ったよね」
「だって、あなたが長期出張している間、私はひどく孤独を感じたんだもの。」
「何通手紙出しても、返事が来なかったよね」
「ごめんなさい」
「僕のどこがよくなかったんだろうかとずいぶん悩んだよ」

「だから、あなたじゃなくて、私に原因があるの」


それは本当だった。

そして、法律関係の人との別れは、未来がザッと見えてしまったんだった。
悲しい関係にしかならないということが、見えてしまった。

男たちのいいところは、こんな私につきあってくれたこと。
言葉ではないものが見えてしまう自分を、否定できるものなら否定したい。

好きでもどうしようもない業のような、動かしがたいものが見えてしまった・
直感だったけど、話したうえでのことだ。

判断は正しかったと思っている。
どんなに苦しくても・・・。

判断というものは、見えているほうが決断するものだ。
見えてない相手は「なぜだ?」ばかりだ。
「君が僕を好きじゃないからだ」
というばかりではなかった。

現実って、男性の方が見ていなかったりしませんか。

まとまらないまま終わり。(笑)