見えない世界って、いつも助けてくれているような・・・

今日は友達と出かけていた。
地震のこと、最近の事件のこと、もう重苦しい事件ばかりで、TVなんかもうみないほうがいいと言っていた。
地震は別だけれど、気分が悪くなると言う。わかる気がする。

正直いうと、最近の事件は気持ち悪くて、
取り上げるのも本当はいやだ。
判事のストーカー・メールの事件、同じマンションの女性を支配したい欲望に任せて殺害した潔癖性の、素知らぬ顔で殺害後インタビューに答えていた男。

気持ち悪い・・・。

仕事はできたというこのエンジニアだかをしていた男も、親を憎んでいたな。

紫陽花の美しさに目をとめながら、住宅街を歩きながら、街の平和なことを、本当にほっとしながら、
現在の静けさをじーんと受けとめていた。
ことばにするとこうだ。(^^)

ここ何年もいろんな出来事があったなあと思い出していた。
悲しかったのは、子供たちの自殺が続いたことだった。

抱えきれない苦しさを、理不尽さを子供の時代で味わう悲しさ。
いじめ。

ワタシは、小学校の時、隣の席の男の子と「誰が好き?」と告白しあったり、給食の早食いを競ったり、思えば元気な子供だったな~(笑)
これは四年くらいだ。

三年になってから、性格が変わってしまって、元気な子になった。
いじめられてた子をかばってた。

中学時代は内気にまたなったり、大胆だったり。

母の心境で影響されて、暗くなったり明るくなったりしてたのかも。
ていうか、そういうもんだとおもう。

高校時代、やりたいことをワタシは許されなかった。
家を出て、一人暮らしをしながらの学生生活も
許されなかった。

推薦入学の学校なんてと
公務員の安定なんてと
福祉の道なんてと

身内にまつわるものはすべて避けてきた。

あとは自力。
自分を信じたわけではなかったけど、
周囲の人間の言っている言葉は信じることはできなかった。

社会に認められること、一生懸命生きれば、社会は保証してくれると言うのだった。

やりたいことを認めてくれないで、なにをずれたことを言っているのかと思った。
社会は何も保証してはくれないと思っていた。
ある意味、これは正しかった。
自分にとって、やりたいことがわかれば、生きる意欲につながると思っていた。

けれど、実際
どの道も現実は厳しい。

それでも、ワタシはチャレンジするつもりでいる。

たった1%の才能しかないにしても、
ワタシが命がけで見い出したに等しい
ミッションのようなものだと信じられる
やりたいことがある。

淘汰に耐えて、残った
小さくきらめく誰の目にも触れていない星屑のような希望。

そこにはいつも
祝福がある。

ただし、いちどこちらから手を離したから、
なかなかそこまで戻れない。
ワタシにとってのi「it」

光に向いて歩いて行くと、試練もいっぱいあるけど、

それが人生の、醍醐味なのだ。

大きく落ちた時期が、若い時期で本当に良かった・・・。

孤独な時期、見えない世界の助けをたくさん受けていたように思う。

袖すりあう縁の見知らぬ人の親切。
先入観なく話を聞いてくれた、大金持ちの友達。

好きになってくれたプライド持って仕事をしていた男たち。

彼らの世俗的な立場やステイタスみたいなものは、
ワタシに奇妙な世間的視野というものを学ばせてくれた。
みじめだった私は、なぜか誰からもみじめに見られることはなかった。

あれからどれだけの年月が経ったかなあ。

不思議な出会いは今も続いている。
また、まとまらないや。