感情的になって行動するのは、自分を信じてないからなんです 人生相談@10年前(2)

つづきである。この37歳の相談者の女性にカウンセラーは言う。
ちなみに、このカウンセラーは幼児教育専門家の女性。
大原けいこさん。スミマセン、漢字わかりません。

まず、この相談者には、フライパンの豆と目玉焼きの例えで、
なぜ後悔してしまうような結果になったかを説明している。

たった15分たらずで、たぶんもっと多くの時間の内容を短縮してあるんだろけど、
それにしてはナカミが濃い。

記事にするために何度も聴いた。
正直、まとめられない深さです。

ただ、じっと聴いていると、涙が出てくるのだ。その意味はわからないけど。

大原カウンセラーの言葉を要約すると

後悔というのは、覚悟していなかったという事。
一番大事なのは、すべてが、感情の赴くままに行動したことなのだ。
相談者が、別れたあと、寂しくて、会いたくなって、
行動して、子どもに会いにいってしまった・・・「感情の赴くまま行動してしまった」というのは、このことを指すのだろうけど。

感情のコントロールっていうのは、会いたいと思ったら、じっと我慢して会わない、
悔しいと思ったら、それを抑えることだと、これまで大原さんは思ってきたそうだ。

「そうじゃないと、わかってきたんです」


大原さんは、わかりやすく、料理を感情のコントロールと置き換えて説明した。

「フライパンを自分の心、火はそのとき起きた出来事、フライパンの中の多くの豆は感情。
豆は火にはじけますよね、出来事が起き、その豆ははじけて、そのまま行動に行ってしまいます」

なるほど。

何か感情に触れる出来事が起きると、人はつい反応してしまう。
それが、火にかけたフライパンの中で炒られてる豆になるわけで。

で、
豆は飛び出して(笑)、次の行為を生む。
たとえば、怒りの豆なら、相手を叩いたり、言葉でなじったりする。
その行為が次の出来事の連鎖を生む。

大原さんは、このいろんな感情に例えた豆がはじけて飛び出した状態が、
相談者が、離婚した夫のもとに置いてきた子どもに会いに行ってしまった状態だと言う。

「では、感情とは何でしょうか・・・」

「そう考えた時に、きれいにできた目玉焼きを、豆の上に置いたら、豆ははじけますか? はじけませんよね?」

相談者はうなづいている。

「その目玉焼きの黄身部分は、自分を信じる意識、絶対に今歩いている道が幸せになる道だというのが白身

それを豆の上に置いた時、どんな出来事が起きても、それを信じてた場合には、感情は、自然に幸せの道にゆくのだと。
大原さんは

「私が今までイライラした時には、きっと自分を信じてなかったんですよ」

そして、

今やってることは、もしかして悪い方向へゆくんじゃないかと思う不安感で豆が飛び出すんです。

と言う。
そういう状態の時は、(自分の)目玉焼きが割れているか、
目玉焼きがなかったかということなんだと表現する。

なるほど。

目玉焼きという「自分を信じる気持ち」と
「幸福になると信じている気持ち」が感情の豆をおさえてないと、
確かに、
何かあるとはじけちゃうし、飛び出しちゃうわ(苦笑)

とても興味深い表現だった。
相談者の子どもへの思いを、深く理解しながら、
カウンセラーは、

快楽的に生きる人ってどんな人なんでしょうか? 考えてみたんです。

と、言葉を続けた。

(つづく)