失敗とは、後悔した時の選択ミスの果てにあること 人生相談(3)

相談者は決して快楽的に、残した子ども達に会いに行った訳じゃないだろう。

苦しくて、寂しくて、やりきれなくて・・・思いあまって行ったんだよね。
だけど。
元夫は、警察を呼んだ。

もう他人だから?
なんだか、やりきれない。
4人の子どもは、小学校4年生を頭に、末っ子は二歳なのに。

だけど、相談者は、間に人を立てない協議離婚をした。
親権は夫側。育てるのも夫側。

相談者は、了承してしまった。

子どもに会えなくなってみて初めて、
大きなものを失ったという辛さを知る。

「大きなものを失ってみて、自分のいたらなさ、もっと努力すべきことがあったというのが、初めて見えて・・・」

後悔先に立たずですね、とパーソナリティが言う。
相談者が、そんな感じです、と答える。
感情的になって、事態から自分を切り離したかった思いは、よくわかる。
外から見て、本当のところは当事者どうしにさえわからないほど、入り組み、
責任のなすりあいになってきて、

相談者にしても、

「無理解」で「非協力的」な夫が、
もはや我慢ならないものに映っていただろう。

末っ子でものごころつく以前から、両親に育てられたことのない相談者は、
たぶん、この夫こそが、自分をもっとも理解してくれる味方に映っていたかもしれない。

23歳の夫と、27歳の妻は、職場恋愛で雰囲気で結婚し、
十年後、妻が子ども四人放り出す形で離婚した。

「 四人のお子さんを置いて出るのは、相当な覚悟が必要だったと思うのですが」

「そうですね・・・こんなに苦しむとは思いませんでした」

後悔先に立たず・・・


さて。

快楽的に生きる人という人はどんな人か?
大原流に説明してもらうと、

ある出来事が起きると、目玉焼きがないので、楽しみとか嬉しさとか、そういうものを先に食べてしまう人。

残った豆(感情)は何か?

辛さ、苦しみ、憎しみですよね。

快楽ばかり追い求める人は、
苦痛なことが起きれば、現実逃避するだろう。
それで、楽しいことをして、憂さを忘れようとする。そういうことを言ってるのかしら?
まあ、人それぞれの解釈でいいんだろうけど。

では、自分を信じる人って、いったい何でしょうか。

ん? 目玉焼きがないってことでしょ?

何か事を起こそうというと、人間は都合がいいんです、人間は自分を信じて事を起こすんです。


ところが。

自分の思うようにいかないのが常の世の中。

「挫折した時に、ああ。私は駄目だと思ってしまうんです」


その時に、

=「今やっていることを続けることなんです。
続けることが自分を信じることなんだと思ったんです」 =

相談者は、自分がよくないんだと自分を責めている。
すべて自分が悪いのだと。

しかし大原さんは、そうではないのだと言うのだ。

「すべての原因は何かというと、卵の黄身と白身がなかったことなんですよ」

元夫との結婚した時から、自分を信じていなかったのかな。
そんなことはないだろうけど、少なくとも、離婚した時に、

この女性は、

自分を信じたり、幸福になろうなどと思うどころか、
デスパレートな妻たち」状態だったんではないだろうか。
自暴自棄つーか、どうにでもなれ状態・・・。

そして、欲望のままに動いてしまった結果がこうだったんです。でもそれを、気付くということは、大きいですよね


人生に失敗はないんです。

失敗は、後悔した時に、どう選択するかを
まちがえた時に失敗の道に行くんじゃないだろうかと、大原さんは言う。
「いつでもやり直しの道はあるような気はするんです」

では、次にどうすればいいのか。

相談者は自分の選択に後悔した。素直にそれを認めた。


素直になったら、

あとは、もう、絶対、今やってることがまちがっていないと思えばいいのだ。

大原さんは言うのだ。

少なくとも、子どもが将来訪れてくれた時、相談者は幸福でいなくてはならないわけだけど。

(つづく)