若さのバブルがはじければ、大人に・・・なるとは限らない?
世の中にはいろんな人がいて、いろんなつながりがあって、
若すぎることはなく、もう若くないと自分で感じている、若いAさんが、
BとCの二人と、以下のような会話をおなじ日にかわすことがある。
BとCは付き合いはなく、
会話中、それぞれで語られている人物は、同一人物である。
B「あ~、○○って素敵! 芸能人だから、モデルとか、
女優とかと付き合ってるんだろうなー」
女優とかと付き合ってるんだろうなー」
A「いい男だよね。しかし、芸能人なんか好きになってもムナシイだけでは・・?」
B「言えてる・・・現実的じゃないよね。住んでる世界が違うよね・・」
という会話と、
C「元彼の○○に、新しい彼氏のこと言ったら、
そいつのどこがいいんだと言われたんだけど・・・」
そいつのどこがいいんだと言われたんだけど・・・」
A「元彼の嫉妬? 別れたんでしょ?」
C「そのつもりだけど、元彼ってプライドがあるから、
別れても自分のことはずっと関心持っていてほしいんだろうね」
別れても自分のことはずっと関心持っていてほしいんだろうね」
A「身勝手よね・・・いくら、芸能人でも」
人は様々な状況を第三者として聞かされる。
一方は、対象に縁もゆかりもない存在として、芸能人を見てる。
けれども、
もう一方は、芸能人が身近な恋人だった人として語っている。
もう一方は、芸能人が身近な恋人だった人として語っている。
こんな話が至る所にころがっていて、
街は生きていると感じることができて、
物語はもしかすると、これからAに始まるんだろうなとか感じたりして・・・・・。
街は生きていると感じることができて、
物語はもしかすると、これからAに始まるんだろうなとか感じたりして・・・・・。
でも、その物語が佳境に入る頃には、人生観が変わっていたりするのだろう。
大人になるのだろうか。
ブランド物で愛をはかるような女性になるとか、
全身ブランド物で武装したりとか、
美味しい話にとびついて、そのたび後悔したりするけど、
懲りなかったりとか。
懲りなかったりとか。
ニューハーフの親友といる時が一番安らいだりするとか、
留学とかシングル・マザーになろうかとか。
恥をかいたりしても、もうお酒に逃げられないことがわかっていたりとか、
そんな大人に・・・・・。
ならなくていい遠回りを、思考力より、目先の対応に追われる生活をする人を、
「大人」になりはじめたねとか、言うんじゃないだろうな・・・・・
「大人」になりはじめたねとか、言うんじゃないだろうな・・・・・
大人というと、
主体性という言葉を思い出すんだけどなあ。
主体性という言葉を思い出すんだけどなあ。
意味不明なまま、終わり(笑)