昭和レトロのパワーで、そして紙芝居で認知症を遅らせる療法

昭和レトロは、このところ流行っています。

このレトロパワーで、さびれてしまった商店街を活性化しようと、
日本中に仕掛けようともくろんでいる人がいます。

サンライズ・エンターテイメントの会長、久保浩さん


・・・でも、町の再生ネタより、
後半の認知症治療に、昭和レトロが活用されていた病院ネタに、
かなり興味を惹かれました。

千葉県 総泉病院 院長先生の高野喜久雄さんの“思い出療法”がそれです。


今日、番組予告で内容知っていたので、観ようと思っていたのですが、
やっぱり、途中からになったんですが(ーー;)、

ガイアの夜明け」観られましたか。


途中からですが、観てよかったです。
認知症予防は、結構興味のあるテーマなので・・・。

自分自身もボケのような経験を、若いときから何度かしていて、
最近もあったかな・・・。

笑えません・・・(ノ-T)


トラブルが起きると、精神的危機なんです。
トラブルが長期続くと、ガタがきやすい自分。
死にたくはならないけど、
内向した分、
ボケというか、外向的ではなくなるんだよなあ。

ワタシの場合・・・。

て、誰もか・・・(苦笑)

実際、自分の近未来については、まだいろいろ考え中で。
トラブルに邪魔されること多し。

社会は問題ばかりだし。

たとえば、今後も、ネットの問題はいろいろ出てくるでしょうしね。

なのに、

身内に心を打ち明けられないで、
ブログに悩みを綴ってる状態っていうのは、
悲劇だなって思ってしまうワタシです。

まあ、できれば、そうはなりたくないけれども、
いずれは、ワタシもそうなりましょう。

しかし、あるもんねえ・・・
前例のない出来事っていうのは。

ネットにそれ書いて、二次災害に遭う人もいるんだろうしな。
それも前例がないことだったりして・・・。

どんなこともケース・バイ・ケースだろうけど。

=

今や、不幸だけでなく、幸福さえも、個人個人さまざまだなという時代。


幸福をノーテンキに綴れば、妬みを買いましょう。

で、さっそくですが(笑)、

あたしは幸福だ~。

誰とも比較しないから・・・小さな幸福だけど。

あたしはあたしでしかないから・・・。


でも、あたしはよく軽いボケになる。

最近、実は精神状態はあまりよくないんですね。
(特別ネガティブでもないんだけど・・・)

超個人的なこと書きたくないんで割愛しますが。
ネタによっては書きますが。

幸福についてですが、

ワタシは、
みんなと同じでいることに価値は置かないんだよね。

はっきり言って、自分なりにいま、幸福だと思う。

まあ、おバカは一生かけて治すしぃ~(バカっぽいなー)

だけど、新しい出来事から来る悲しみや外的&内的苦労のことで、乱されるんだよね。

たとえば、

身近な者との別れ、介護。

これを知ってくると、ホント、未来がこれまでのようには感じられなくなる。
社会も、人間味のない社会になってきています。

知人の人生観の本質に触れて、愕然としたことからくる失望。

陰で、言ってもいないことをまき散らす人がいる。
でも、悪気は自覚していない。
精神が病んでいるだけで。
・・・でも、まあ、見えてきた。(苦笑)

あと、微妙な精神の歪みから、いじめる人。

以下のような精神構造になってる人です。

弱い自分に開き直ったかのような、現状維持の、甘え合う世界観を拠り所に、主体性を見失った自己憐憫が透けて見える自己主張する人々のそこここの声。

ネットでは
こういう滝壺に不満や愚痴をため込んだような人々が、
身勝手な屁理屈で、自己正当化し、
いじめやストーカーのような行為を行うことがあります。

時に正論でありながら、
微妙に客観性を欠いていて、
長引くと、大義名分を前面に押し出していた人が、

本音は妬みだったり、

気にいらないだけであったり、

何か別の目的や動機が動いてたりして。

などということが見えてきます。

ふと書きながら、ワタシだって動機じたいが不純だなと思うときが現実にあるけど、
素直だったんだよな。
それが誤解されたり、妬まれ(恨まれ)たりとかされたんだろうか。

ただ、根は内気で、つーかシャイなんで、
企みとかはしないタイプだなー。

争いは

善意で味方の立場で、援護を行っている人でさえ、
いさかいが長引くと、
相手の落ちた滝壺にいつのまにか引き込まれた状態に陥りやすく、

客観的に自分の立ち位置がわからなくなり、言動がぶれやすくなることもあると思うのです。

争いは、

日頃、緩慢な日常を送る人にとっては、
刺激的に気持ちを燃焼できる、手軽な気晴らしになりえるので、
生きる実感が得られるのかもしれないですね。

ネットでの争いは、長引くと、悲劇だというだけでは終わらないです。


ネットの議論は、
テーマの確実な共有と、
お互いの対話をじっくり検討する時間が、
互いに重要視しあうことが必要だと思います。

ネットは現実とはちがうと思います。

そう、現実と違うおもしろさもありますし。

ネットのいさかいする人々って、現実だと、
モンスターなんとかと言われる人々と同様の心理状態かもしれませんね。

反省の思いをこめて、書いていますです・・・。


話がかなりそれましたが、まんざら無関係でもないのです。
だって、そういう経験して、あたしはボケたんだもの。

もちろん、それだけじゃあないけど。(;ー。ー)

認知症の原因は海馬部分の萎縮らしいですが。

いじめられて、精神が萎縮してしまうことは、経験した人ならわかると思いますが。
原因は、はじめはワタシにありました。

説明しきれない複雑さですが。
まだまだ、すべては書けませんが。

まだ傷ついている人がいるからです。
傷が癒えて、思いが新しくなったら・・・ですね。


実は、

社会のそういうことをいろいろ知り、
ワタシは、いままで好き勝手に生きてこれたことに、不思議な感覚を覚えているわけなのだけど・・・。

だから、

病院ボランティア、介護ボランティアも考えていて、
(発想は飛びすぎかもしれないけど、いろいろ人々の病んだ心に感じるところあり)

でも、

責任が持てるかどうかと考え出すと、疑問が・・・。

今年いっぱい、じっくり考えたいと思っていますが。

今、優先順位が見えなくて。

ブログなんかに書いてたって、答えは出ないでしょうが・・・。

まぁ、自分の気持ちを見れたり、気持ちを固めたりは、
ブログはできそうなんですが。

一部の争いブログを観てると、

時に、なにが「善」であるか共有さえされていない社会を、
そこに見ているみたいに感じる。

それはそれで勉強になるんだけど。


実際。

医療も一線を越えてしまったと、医療従事者がTVで言っていたんだけど、

たとえば、リハビリが、成果主義になったことを嘆いておられた。

あきれたよ。

国がわはどうかしていると思う・・・。

身体が回復しなきゃ、ボケやすくなるのに。
いずれ、見直ししなきゃならないテーマだなと思う。リハビリって・・・。

認知症は治らない。

だが、進行を遅らせることはできるのだ。

そのためにどうすればいいのか

どうしてはいけないのか、


もっと研究せいよと言いたいし、
やる気を出せといいたいです。

ワタシのように捨て鉢になるなよー(笑)

あ、そっかー。

捨て鉢になっていたかー。
いかんなー・・・

んで。

ガイアの夜明けではさ、
昭和レトロを、
高齢医療専門病院の千葉総泉病院で、
認知症の進行予防に用いているのを紹介していたんです。

レトロ・ミュージアムという、病院内の
昭和の町並みみたいな場所で、
治療しています。

効果はありました。

66歳のKさんは、階段から落ち、脳挫傷をきっかけに認知症になりました。
夫がKさんの回復ぶりに、微笑んでいた。

「(事故当時は)保険証の場所も、下着の場所もわからない状態でした」


三ヶ月で、早い回復ぶりです。
用いられていたのは、院長の考えたメソッドである、

思い出療法

昔懐かしい思い出の品物や場所を介して、
ポジティブな方向に持って行く方法。

その療法に次いで、取り入れられた紙芝居。


黄金バット」の紙芝居で、五官を刺激しようという試み。

ネットで購入できた紙芝居の「黄金バット」が
始まる時に、Oさんには拍子木を、
Tさんには太鼓を叩いてもらい、
始まりました。
みんなべっこう飴をなめながら、子どもの頃に返ります・・・。

ふと、思ったのは、ひねくれていたら、紙芝居なんか楽しめないなということです。

素直だから、ボケるのかもしれません。
んなこたないか・・・。(笑)

ワタシはもっか、少し暑さでボケているけど、
未来に引き受けるべきいくつかの身体があるのだなと思うと、
夢どころではないと思えてくるんですね。

誰しも生まれてきたら、当然予測可能なストレスですが。


今すべきことは何だろうかなと・・・。
少しずつしてきてはいますが・・・。

でも、修正は常に必要なんでしょうね・・・。


言葉にならない感情を、ガイアの夜明けで味わっていました。

(終わり)