【メモ】欲望がすべて満たされたら自由か?

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新しいテーマ

メモなんで、整理されてません。

「私が欲しいものをすべて手に入れたとして、したいことをすべてやったとして、そのときに私は〈ほんとう〉に自由なのだろうか?」


自分と向き合う知の方法 森岡正博著 PHP研究所 1997年刊


77ページの文。

著者は、そういう欲しいものがすべて手に入る人間は、

「欲しいもの」「やりたいこと」をどこまでも果てしなく実現しなければならないという、一種の強迫観念に取りつかれてゆく

という。

その「強迫観念」が我々を束縛し、ほんとうの自由を奪ってゆくのではないだろうか、と。

では、ほんとうの自由ってなんだろうか。


欲しい物を得たい、やりたいことをしたい、
そういう「エゴ」のこころからの解放こそが、ほんとうの自由だと著者はいう。

これは、「宗教」次元の欲求なのであるが


この現実社会の原理とは矛盾するものを、

強引に解消しようという運動が九五年になにを引き起こしたのかはもう語る必要はないであろう。


これは、この本の 
 「豊かな時代になぜ人は不機嫌か?
  ーー自由の意味が変わった」

のラスト部分である。

ラストといっても、4ページしかない。

森岡さんの場合、自由とは、高知から東大に入って、
親からの束縛、環境からの束縛、受験勉強からの束縛から解放され、

やりたいことをしたい放題することだった。
誰にも文句は言わせずに・・・。

東大はエリート社会への一つ目のパスポートだよね。

森岡さんは、「考える人」であり、当時は
その道の成功者となりつつある時期の人だ。

生命論、環境論、ジェンダー論、科学論、現代思想と彼は幅広く考えてきた。

この当時、大阪府立大の助教授。順調だったかかどうかは知らないけど。

大学って、講師だと激安だそうだけど、助教授は・・・まぁ、いいか。

今は森岡さんは・・・あえて調べません。

この本は、当時の彼のリアリティで書いてると思うから、
そこに身を置いて、彼の当時を味わいたいと思うので。

この本には、1990年当時の考え、つまり著者から見ても、
距離をとるようになった考え方の
エッセイも収録してある。

ほぼ90年代半ばのものと書き下ろしで構成されている。

つまり、2008年の今からだと、11~14年前の著作が中心。

この10年だけでも、ずいぶん、日常は変化した。
いつから携帯やパソコンが入ってきたんだろうか、
てなくらいに、もうなしにすませられなくなっている通信機器たち。

話をもどそう。


彼がすべてをかなえて得た自由は、

やがて不燃焼感に陥ってゆくんである。

空しさと、

得体のしれない不安感。


自分は、社会の用意したみせかけの自由のてのひらの上で、ただ踊っているだけなのではないだろうか。


目先の楽しみと快楽のみ追い求め、自分をすりへらしているのでは・・・・・?

不安感



彼は次第に宗教の世界に接近してゆきますが、

オ ウ ム真理教団の一連の事件があって、
著者は考え方、価値観が変わった。

オ ウ ム事件は、彼にとって、これ以上ない大事件であり、
本を買いてしまう。

自分も、一歩間違っていたら、あのようになっていたかもしれないと思った。


一番になりたい、
人の上に立ちたいという願望を持ちながらも、
まだ一番になれていない人たちは、

オ ウ ムに醜い自分の姿を見せつけられたのではと、
著者はいう。

(未完)

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まぁまぁいい本なんで、公開にしておこう。(^^)

北島さん、金メダルおめでとう!!


オグシオ~(ToT)