恩恵の世界観 道元とアウグスティヌスは似ている?
て言ったって、道元は好きだけど、もう一方の方はボチボチ読書してる段階。
ていうか、
そういった最も世俗的な世界の
ドロドロした物事に挫折や失望してこそ、
そういった最も世俗的な世界の
ドロドロした物事に挫折や失望してこそ、
この世にあらざる美的な世界の存在を期待できる信仰の世界に
不退転の思いで、飛び込むことができるのだと思う。
不退転の思いで、飛び込むことができるのだと思う。
ただ、上に書いたことは、
ワタシの創作のテーマに触れているのだ。
ワタシの創作のテーマに触れているのだ。
話はぐるっと戻るけど(笑)。
とにかく、アウグスティヌスなど知らんのだが、あるジャンルのインテリさんたちにとっては、一般常識・・・らしいが。
「知っていて当たり前」byイヤミなインテリさん
インテリじゃないワタシには難しい内容ゆえ、アウグスティヌスを女たらしだったとでも思わなきゃ、興味が出てこないんだよねェ・・・。(ーー;)
実際、遊んではいただろうなァ。アウグスティヌスさん・・・
アウグスティヌスは、自分で自分を「放蕩者」と言ってるんだから。
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すべてのものが成仏しているとみた若き道元と、
二人とも、世界をパーフェクトなものと捉えていたということらしい。
悪を見出した視点。これこそが二人の共通点。
そこから二人は、探求を始めた。よく、自然の草花も樹木も生かされているのだから、
悪もそのまま生かされています、許しましょう、という解釈をする場合があるが、大違いで、
自分が世界の一部として自覚される。しかもそれが、単に偶然的な、あってもなくてもよい、ちっぽけな一部ではなくて、世界を成り立たしめている本質的な一つの部分として自覚されること、(後略 )「アウグスティヌス講話」p.141
内に取り込む形であれ、外界に自分を投げ込む形であれ、
積極的に前進していく意思を感じる。
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