旅支度・・・自分へ
本屋さんで潰す時間が
最近増えている。
最近増えている。
お気に入りカフェで時間を潰す時間も
増やしている。
増やしている。
こんな時代だからといって、
なんで
あくせくしなきゃならんのだ?
なんで
あくせくしなきゃならんのだ?
どうせあがこうともがこうと
自分の決めることだろう?
どんなことであっても。
自分の決めることだろう?
どんなことであっても。
どう言っても、どう言葉を選んでも
伝わりようのない世界で、
伝わりようのない世界で、
避けられようのない誤解や曲解が生まれて、
それが成長する時だってあるだろう。
それが成長する時だってあるだろう。
それが、自分にとって
手の打ちようのないことだってある。
手の打ちようのないことだってある。
こういう経験のない人間には、
ワタシの言っていることなど理解できないだろうけど。
ワタシの言っていることなど理解できないだろうけど。
現実というものは、深く潔い。
ときに残酷な傷跡を残すけれども。
ときに残酷な傷跡を残すけれども。
時という普遍的な出来事?によって、
淘汰が行われるからである。
淘汰が行われるからである。
旅に出ようではないか・・・。
冬ごもりの前に、
色鮮やかな収穫の時期がある。
色鮮やかな収穫の時期がある。
ワタシはなにを収穫しただろうか?
少なくとも、
現実に得たものは
ワタシを充足させてくれている。
現実に得たものは
ワタシを充足させてくれている。
何を得たのかは、内緒であるけれど。
単純に言葉で語れることではありえない
ということは確かである。
ということは確かである。
幸福というものは、
いい意味で実は根が深いものだ。
いい意味で実は根が深いものだ。
あちこちに知らず知らず根を張っているからこそ、
幸福の実が成っていることを実感できる。
幸福の実が成っていることを実感できる。
目に見えないそれは、
いつでも個人的な出来事にすぎないけれども、
ワタシを不滅の至福に誘うのである。
いつでも個人的な出来事にすぎないけれども、
ワタシを不滅の至福に誘うのである。
ほんとうの旅の前に、
いくつかの小さな旅。
いくつかの小さな旅。
それでも、
ひとつの願いに貫かれて
小さな期待と、
生きるヨロコビをともに味わえる出会いが待っている。
ひとつの願いに貫かれて
小さな期待と、
生きるヨロコビをともに味わえる出会いが待っている。
それがすべてだったのだ。
どんなに人間が嫌いでも
どんな人々がこの世に存在していようとも、
どんな人々がこの世に存在していようとも、
意識の旅と、心の旅。
さて、旅支度だ。
誰も壊すことのできない心の世界の大空へと・・・。
まだまだ行きたいところは、近くに溢れているというのにね・・・・・
うん・・・。
どうしようかな?
どうしようかな?
しばし自問自答のひととき。
( ^^)c□~