ネガティブじゃない女は今
もともと自分はネガティブじゃないと思っている。
幼い頃から、あちらこちらと走り回って、
のびのびと育ったせいだろうか。
末っ子だったし、家族も多かった。
人間関係にもかなり恵まれている。
幼い頃から、あちらこちらと走り回って、
のびのびと育ったせいだろうか。
末っ子だったし、家族も多かった。
人間関係にもかなり恵まれている。
そんな私が特殊な精神的な状況になったのは十代後半、
尼さんになりたいと思ったりした頃のことだ。
すぐ考えは変わったけど(笑)
尼さんになりたいと思ったりした頃のことだ。
すぐ考えは変わったけど(笑)
人間はどうしても外界からの影響を受けざるを得ない。
一人でも身内に、
エゴイストがいたり、
世間で認められていても、身内には冷たい人だったり、
苦悩の深い人だったり、
環境が原因で気持ちがすさんでいたり、
その他、
一人でも身内に、
エゴイストがいたり、
世間で認められていても、身内には冷たい人だったり、
苦悩の深い人だったり、
環境が原因で気持ちがすさんでいたり、
その他、
ネガティブな人間がいると
幼い子供は、知らず知らず影響を受けてゆく。
本来明るかった心が、
暗く、沈んだ一面をつくり出してゆく。
それが、個の性格を形作ってゆく。
幼い子供は、知らず知らず影響を受けてゆく。
本来明るかった心が、
暗く、沈んだ一面をつくり出してゆく。
それが、個の性格を形作ってゆく。
育った環境、周辺の雰囲気や、周囲の人々の思いなどの中で、
その人間の個性と人生観と環境が育まれてゆく。
その人間の個性と人生観と環境が育まれてゆく。
成長し、手探りで、手応えのある人生を生きたいと願うが、
どこかで何かが狂い、
他者や状況に振り回されて足場を見失うのが、
ネガティブ環境に育った人間の陥りやすい現実である。
どこかで何かが狂い、
他者や状況に振り回されて足場を見失うのが、
ネガティブ環境に育った人間の陥りやすい現実である。
ずっしりとした、どんより重苦しい気配でも、完全無視を決めるだろう!!
ネガティブな過去に苦悩した記憶を持つ友人が何人かいる。
私なんかより、ずっと一生懸命生きている。
他人に親切にして、ニコニコ笑いかけ、
どんな困難でも「大丈夫」「平気」とばかりに、
いいことだ。
刹那的に、破滅的に生きてる人より、建設的で前向きである。
私なんかより、ずっと一生懸命生きている。
他人に親切にして、ニコニコ笑いかけ、
どんな困難でも「大丈夫」「平気」とばかりに、
前へ前へ進む。
「過去の闇に振り回されたくないの」いいことだ。
刹那的に、破滅的に生きてる人より、建設的で前向きである。
さて、ここに私の道がある。
夢のために生きるべきだということと、何をすべきかを、ちゃんと私は知っている。
限界を超して、悩み抜いた日々を経て。
時間もかかったが・・・・。その分、
自分のしたいことにお金もかかっている。
自分に何かやりたいことがあるのだと、幼い時期から認識していた。
命がけで生きていなければ、夢の実現はできない。
ずっとそう思っている。
ずっとそう思っている。
無気力、怠惰、無責任、その他
安楽の罠に縛りつける「日常」という現実。
良きエネルギーを日々ためていれば、
そうはならないだろうが。
・・・・乗り越えたはずの古いカルマも染み出してきたりして(笑)
「負」
のエネルギーを人間から吸い取って、安楽の罠に縛りつける「日常」という現実。
良きエネルギーを日々ためていれば、
そうはならないだろうが。
・・・・乗り越えたはずの古いカルマも染み出してきたりして(笑)
普通に日々暮らしていれば、
気持ちが明るくなるのも、暗くなるのも、他者しだいである。
それだけ、人間は他人の視線を気にして生きている。
気持ちが明るくなるのも、暗くなるのも、他者しだいである。
それだけ、人間は他人の視線を気にして生きている。
ある段階までの試練を乗り越えたら、
同じような苦悩を持った人間と出会い、
ときに友情を分かち合い、
助け合うものかもしれないが・・・・
同じような苦悩を持った人間と出会い、
ときに友情を分かち合い、
助け合うものかもしれないが・・・・
(修正するかもです)