ネガティブじゃない女は今

もともと自分はネガティブじゃないと思っている。
幼い頃から、あちらこちらと走り回って、
のびのびと育ったせいだろうか。
末っ子だったし、家族も多かった。
人間関係にもかなり恵まれている。

そんな私が特殊な精神的な状況になったのは十代後半、
尼さんになりたいと思ったりした頃のことだ。
すぐ考えは変わったけど(笑)

人間はどうしても外界からの影響を受けざるを得ない。
一人でも身内に、
エゴイストがいたり、
世間で認められていても、身内には冷たい人だったり、
苦悩の深い人だったり、
環境が原因で気持ちがすさんでいたり、
その他、

ネガティブな人間がいると
幼い子供は、知らず知らず影響を受けてゆく。
本来明るかった心が、
暗く、沈んだ一面をつくり出してゆく。
それが、個の性格を形作ってゆく。

育った環境、周辺の雰囲気や、周囲の人々の思いなどの中で、
その人間の個性と人生観と環境が育まれてゆく。

私の場合はとくに・・・批判精神が幼い心に育ってゆきました。(ボソ)いいんだか、悪いんだか・・・・。


成長し、手探りで、手応えのある人生を生きたいと願うが、
どこかで何かが狂い、
他者や状況に振り回されて足場を見失うのが、
ネガティブ環境に育った人間の陥りやすい現実である。

十代というのは、

確かなものが何もない。
見失うものさえない。

なのに、目で見えないものはガンガン感じた。
実感を持って、いやな気分とともに。

グラリと、ガタンッと、

背景の世界が一気に変貌を遂げる感覚。
未来が真っ暗に感じられた。
際限のない不安感。

今なら完全無視である。( ーゝー)yー~

たとえ、

ずっしりとした、どんより重苦しい気配でも、完全無視を決めるだろう!!

・・・我ながら、力入ってますね。

若い時期に何かあったんでしょうか?(笑)


ネガティブな過去に苦悩した記憶を持つ友人が何人かいる。
私なんかより、ずっと一生懸命生きている。
他人に親切にして、ニコニコ笑いかけ、
どんな困難でも「大丈夫」「平気」とばかりに、

前へ前へ進む。

「過去の闇に振り回されたくないの」
いいことだ。
刹那的に、破滅的に生きてる人より、建設的で前向きである。

しかし、

全面的には肯定できないんである。
なぜかはわからないけど。

さて、ここに私の道がある。

夢のために生きるべきだということと、
何をすべきかを、ちゃんと私は知っている。

限界を超して、悩み抜いた日々を経て。

時間もかかったが・・・・。
その分、
自分のしたいことにお金もかかっている。

自分に何かやりたいことがあるのだと、幼い時期から認識していた。

しかし、

生きているだけで日々、ホコリやゴミにまみれて
何度も道が見えなくなっているけど。

命がけで生きていなければ、夢の実現はできない。
ずっとそう思っている。

だが、

見えない世界の計らいで、
夢が実現することがある。
それに有頂天になり、「すべて自分の実力だ」と勘違いする、
そして足場を踏み外す・・・・
これも人間じゃないだろうか(苦笑)

夢をここで点検しなおせば、
実は

表面的な願望実現をしたいだけが、自分の夢じゃない

ことに気付くことだってできるのだけれど。

それまでにずいぶん、地雷も踏んで、
性格も歪み、つらいでしょうが(笑)

次の段階は、

真に成すべき事がわかっても、
なぜそこへストレートに行けないのか・・・・?
と、
自分に問うことかもしれない。

無気力、怠惰、無責任、その他

「負」

のエネルギーを人間から吸い取って、
安楽の罠に縛りつける「日常」という現実。
良きエネルギーを日々ためていれば、
そうはならないだろうが。
・・・・乗り越えたはずの古いカルマも染み出してきたりして(笑)

そして、

流され続けて
迷いの中、まどろみの中、
その人間が得るものは、

片寄った発想をする、
子どもっぽさの抜けない、
不器用で、
意地っ張りで、
人間嫌いな自分
・・・・だったりする。

今死んだら、この記憶を持って私はあの世にゆくのか・・・・。


普通に日々暮らしていれば、
気持ちが明るくなるのも、暗くなるのも、他者しだいである。
それだけ、人間は他人の視線を気にして生きている。


ある段階までの試練を乗り越えたら、
同じような苦悩を持った人間と出会い、
ときに友情を分かち合い、
助け合うものかもしれないが・・・・

だが、次の段階にゆけば「独りの道」である。


(修正するかもです)